「偏見」の目を向けられ、「差別」されてきた祖父母が二人の子どもを持つまでの苦難…小説家はどう「ルーツ」を辿るか
ミステリー小説だけにあるわけではない「謎解き」
一昨年、米アカデミー賞作品賞を受賞した『コーダ あいのうた』で知った方も多いかもしれない。耳の聞こえない親に育てられた耳の聞こえる子を〈チルドレン・オブ・デフ・アダルト〉通称コーダという。つばめの父・海太は「コーダ」。つばめの祖父母はろう者だ。祖父は日本で初めてのろう理容師だという。 新たな作品を書くために、つばめは祖父のことを調べることを決める。 祖父はつばめが生まれる前に亡くなっているため、取材対象はコーダである父、同じくコーダの伯母、施設で暮らす祖母。 つばめは作家として親族に話を聴くのは必須だと思いながらも、一抹の躊躇がある。父との関係が思わしくないからだ。その原因は、父がコーダであることも無関係ではない。 誰にも言いたくないこと、封印していることがあるのは不思議ではない。むしろ取材する側が身内だからこそ、本音や過去は言い難い場合もある。 謎解き、というとミステリー小説に特有のものと思われがちだが、多くの小説はある真実を探る謎解きの物語だ。本作もつばめが、父、伯母、祖母がこれまで語らなかったことを明らかにし、祖父の足跡を辿って小説として記す姿を追うヒューマンストーリーと言える。
自分にしか書き得ない作品を書いていくには
そしてつばめが作家であり続けるか、それとも筆を折るか、これからの人生の生き方を定めていく物語でもある。そのために切実に次回作──自分のルーツにまつわる、自分にしか書き得ない作品を書く必要がある。それは同時にこれまで閉じられていた家族のパンドラの箱を開くことにつながっていく。 距離を置いていた父への取材後、手話教室に通い始めたつばめは、徳島に住む伯母・暁子に「おじいちゃんの生き様から学びたい」と頼む。聞こえる側と聞こえない側の「溝」について考えていることを伝えると、暁子はこう言う。 「溝を超える、か。言っとくけど、そう簡単には超えられへんよ。お父さんも超えられてたんかどうか」 ろう者の両親とコーダの父の間にあった溝は、父とつばめの間にもある。また、ろう者の夫と結婚しているコーダ・暁子にもあることを暗に示している。 わかりあえなかったり、伝えたいことが簡単に伝えられなかったりすることはどんな家族間にもあるが、コーダの暁子、海太の抱える孤独はより深刻なものだっただろう。 さらに過去へと遡り、偏見の目を向けられ、差別されてきた祖父母が出会い、結婚して二人の子どもを持つまでを辿る。祖父が日本で最初期のろう理容師になったのは、これまでにない新たな道を歩んできた証だ。 これまでにない道を歩いているのは、つばめ自身も同じだ。会うことのなかった祖父の想いが、いつしかつばめの想いと重なっていき、やがて「過去」が思いがけない出会いへとつながっていく。 作家は、自分にしか書き得ないことを書こうとする。そして自分が書かなければならないことを書くことが使命だと思う。たとえ傷つく人がいても、残すべき真実があるなら書く。そうでなければ誰かにとって都合の悪い史実は隠され、そのうち忘れられるだろう。 今の自分がもどかしい時、つい未来を変えてくれそうな新しい何かを求めてしまう。でもヒントは足元にある。その足で過去を辿ってみれば、きっと自分がここに居る理由がわかる。それを教えてくれる本作は、新しい自分に出会える物語だ。 一色さゆり(いっしき・さゆり) 1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒 業。香港中文大学大学院美術研究科修了。2015年、「神の値段」で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞して、翌年作家 デビューを果たす。主な著書に『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』からつづく「コンサバター」シリーズ、『カンヴァスの恋人たち』など。近著に『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』などがある。
中江 有里(女優・作家)