スバルを代表するモデル「レガシィ」の車名が消滅、「レガシィ アウトバック」が2025年3月で販売終了
■車体剛性にこだわった技術者の挑戦 1990年前後、日本の自動車メーカーで車体剛性を売りとした車種はほかになかった。エンジン性能やサスペンション形式などに比べ、車体剛性は消費者にわかりにくく、売りにつながらないと考えられたからだ。トヨタのGOA(グローバル・アウトスタンディング・アセスメント)ボディが登場するのも、1995年末になってからのことである。そうした時代に、車体剛性にこだわったレガシィの誕生は、技術開発を一から進められる機会を得て挑んだ技術者の、原理原則に徹する真摯な志を表していた。
車体がしっかりしていなければ、たとえサスペンションにダブルウィッシュボーンやマルチリンクを採り入れても、その性能を存分に発揮させることはできないというのが、当時の彼らの思想であった。そして、レガシィのサスペンション形式は、一般的な乗用車と同じストラット式であった。車体が堅牢であれば、ストラット式で十分にストロークを生かせ、走行性能を高められると彼らは説いた。その成果は、ラリーという競技の場で明らかにされた。
SUBARUは、さっそく1990年に世界ラリー選手権(WRC)にレガシィで挑んだ。そして1993年のニュージーランドラリーで初優勝を果たす。その後、レガシィの基本構想をもとにより小型車とした「インプレッサ」での参戦となって、製造者(マニュファクチャラー)タイトルを1995~1997年まで3年連続で獲得する。 レガシィの前、レオーネの時代に、SUBARUは4輪駆動車を車種追加している。これが未舗装路だけでなく舗装路でも4輪駆動車が走りに貢献することを明らかにした世界最初の取り組みで、ドイツのアウディ・クワトロが登場するのはその後である。さらに、レオーネの2代目ではツーリングワゴンの価値を生み出す。ステーションワゴンが、単に荷物を積め、大勢で移動できるという価値だけでなく、後席から後ろの屋根を一段かさ上げし、外観の魅力も増し、独自の商品性を与えたのであった。これがレガシィにも引き継がれる。