各話ごと振り返る「不適切にもほどがある」の凄いポイント、最終回はルールを壊して未来を変えられるか
名残惜しいにもほどがある! 金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS金曜よる10時~ 脚本:宮藤官九郎)がいよいよ最終回を迎える。最終回を前にこれまでを振り返りつつ、賛否両論、話題になったこのドラマの意義を考えてみたい。 ■痛快コメディかと思いきや… 始まったときは、1986年と2024年をいき来する主人公・小川市郎(阿部サダヲ)を中心に、昭和と令和の人たちが入り乱れ、異論反論オブジェクションを巻き起こし続ける痛快コメディという印象だった。
ところが、1986年と2024年の間の1995年1月17日、市郎は娘・純子(河合優実)とともに阪神・淡路大震災の犠牲になっていたという事実が印象を大きく変えた。 2024年にはお墓の中に入っているはずの市郎と純子が、タイムマシーンのバスで2024年にやってきて、本来味わえない経験をする。 祖父・市郎、娘・純子、その夫・ゆずる(古田新太)、孫・渚(仲里依紗)がお茶の間で一緒に過ごしているシーン(たこ焼き焼いてる)や、純子と渚がナポリタンを食べながら語り合うシーンなど、登場人物の年齢が逆転した不思議さは、大林宣彦監督の『異人たちとの夏』(1988年)のような、ファンタジーながら上質なヒューマンドラマのようでもあった。
うるさくて乱暴で俗っぽい不適切男だった市郎はいつしか令和の時代に必要とされ、純子も感化され生き方を見直していく。が、最終回直前の第9回では、「タイムマシーンはおしまい」と井上(三宅弘城)が名曲『タイムマシーンにおねがい』の節で歌い、気軽にいき来していたタイムマシーンが、スポンサーの出資打ち切りで稼働できなくなってしまった。 このまま令和に残ったら、1995年1月17日は回避できる? いや、昭和にいる純子を一人残せないと、父として激しく葛藤する市郎。運命を変えるのか、それとも運命に抗わないのか。宮藤官九郎はどちらを選択するか。ベテラン作家・エモケンこと江面賢太郎(池田成志)だったら、どっちの展開を書くだろう。