那須川天心、ボクシング転向5戦目で初タイトル「来年中に世界戦」快勝で世界ベルトへ大きな弾み
<プロボクシング:WBOアジア・パシフィック・バンタム級王座決定10回戦>◇14日◇東京・有明アリーナ WBOアジア・パシフィック・バンタム級1位の那須川天心(26=帝拳)がボクシング転向5戦目で、初タイトル奪取に成功した。無敗の同級2位ジェルウィン・アシロ(23=フィリピン)との同級王座決定戦に臨み、3-0の判定勝利で、アジア王座のベルト奪取に成功した。3連続KOは逃したものの、9回には左ボディーストレートでダウンを奪って快勝。同王座はすぐに返上する意向で、来年は「世界前哨戦」を続けながら、世界挑戦の準備を進める方針を示した。 ◇ ◇ ◇ 9回、那須川が意地を込めた左ボディーストレートを突き刺した。左拳が腹部に到達するとアシロのダウン。「腹にパンチが当たって吹っ飛んで倒れているからダウンかな。ダウンでなくても全然良いけど。思ったよりは相手がうまかったし研究していた。でも自分のペースで戦えたのは収穫」。転向5戦目での初タイトル獲得を決定づけたダウン奪取に手応えを示した。 ベルト獲得以上の充実感があった。10回までスタミナと集中力が持続。同回には踏み込んでの左を狙うと偶然のバッティングで左目上をカット。格闘家時代を含め、初めてカットと流血をダブルで体験した。「オレの大事な…顔で売っているのに。ボクサーだなと。医務室で縫うのは嫌だと思ったけどテープで治ると言われた。もみくちゃの試合ができて良かった」と安堵(あんど)の表情だった。 リングでWBOアジア・パシフィック王座のベルトを巻いた。国内で世界挑戦するための条件となる日本、アジア王座の獲得という日本協会の「内規」をクリア。「無事にアジアのベルトを巻くことができました。返上します」、25年は「世界前哨戦」を続けながら世界挑戦のチャンスを待つ姿勢をみせた。 15歳で格闘家デビューした14年7月の試合ウエートは55キロだった。「プロになって10年経過して、デビュー時より低い体重なんて感慨深い」と感慨深げ。同級では「骨格がでかい」とメリットも感じている。現在の世界ランクはWBA、WBCで3位。来場したWBO王者武居由樹(大橋)、IBF王者西田凌佑(六島)の前で那須川は言った。 「武居くん、勝ちました。来年中に世界戦を。那須川天心の世界への道。那須川天心対世界をやりたい」 「世界切符」のベルト奪取で24年を締め、25年へ。来年末に設定される世界戦に向け、さらなる成長と進化を目指す。【藤中栄二】 ◆那須川天心(なすかわ・てんしん)1998年(平10)8月18日、千葉・松戸市生まれ。5歳で空手を始め、小学5年でジュニア世界大会で優勝し、キックボクシングに転向。14年7月、15歳でプロデビュー。15年5月にプロ6戦目で史上最年少16歳でRISEバンタム級王座を獲得。16年からRIZINなどにも参戦。18年6月に階級を上げ、初代RISE世界フェザー級王者に。22年6月、K-1の元3階級制覇王者・武尊を判定で下した。23年1月に帝拳ジムからボクシングに転向すると表明。同4月に6回判定勝ちで転向1戦目を飾った。家族は両親、妹2人、弟。身長165センチの左ボクサーファイター。 ☆那須川天心のボクサー1年半アラカルト☆ ◆1年半で5度 格闘家時代には1度も体験したことのなかった走りこみ、フィジカル合宿を千葉・成田で4度実施。アシロ戦前は台風の影響で都内に変更して実施。 ◆決めポーズ リングでコールされる際に必ずアニメの決めポーズを取る。1戦目はドラゴンボール(孫悟空の元気玉)、2戦目はワンピース、3戦目はナルト、4戦目は呪術廻戦。そしてこの日の5戦目はドラゴンボール(ベジータのファイナルフラッシュ)とみられる。那須川は「アニメが好き。サブカルチャーと格闘技をつなげていきたい。アニメや漫画が現実ではないと思ってみていると思うけれど、僕は現実に通ずるものあると思う」 ◆歩行方法 かかと重心となるキックボクシングに対し、ボクシングはつま先重心。足先に体重が乗ればパンチにパワーが増す。元世界2階級制覇王者粟生トレーナーに歩行の意識を提案され「それで少しでも強くなるなら」とつま先重心の歩行に変更。今年に入ってもジム内でチェックを一歩目のステップに鋭さが増した。 ◆故障 昨年8月のグスマン戦で左拳を骨折。約2カ月間、実戦練習を控えてシャドーボクシングとスタミナ強化を図ってボクサーの「土台」と「基本」を徹底する期間に費やした。 ◆座らない 転向1戦目からラウンド間のインターバルでいすに座らずに立ったまま、セコンド陣の指示を聞く。ジム内でインタバーバルに「着席」する練習をしたものの「しっくりこなかった」。