「学問のすすめ」だけじゃない。福沢諭吉が説いた「分散投資のすすめ」
2016年は少額投資非課税制度(NISA)の非課税枠が100万円から120万円に拡大されたり、ジュニアNISAの受付が開始されたりと、資産形成のために投資に関心を持つ人がより増えてくるものと思われます。投資にはもちろん最新の情報が大切です。しかし、投資の基本は、いまも昔も変わらないことが多く、投資の先駆者たちの行動などからもたくさん学べることがあります。 この連載は古今東西の投資家・相場師に関する研究の第一人者、市場経済研究所の鍋島高明さんが”大胆かつ美しい”大物投資家たちの言葉や哲学を紹介します。一見、無機質なマネーの世界を熱く駆け抜けた人たちの物語をいま一度、振り返ってみましょう。 初回は1万円札の顔として、おなじみの福沢諭吉。投資家としての一面に焦点を当ててみたいと思います。
じつは、お金もうけが大好き?
福沢諭吉が「相場所」を初めて見学するのは明治23年(1890年)3月3日のこと。昔は取引所のことを相場所とか相場会所などと呼んでいた。投機論や取引所論を再三、新聞紙上で発表している福沢だったが、それまで直に取引所を見たことはなかった。 友人の外国人宣教師ナップが日本の取引所を見学したいと言い出したとき、福沢は「実はわしも今まで見たことがない。お互い知らん者同士で見物するのもおもしろいじゃないか。出掛けよう」と即決。まず蛎殻町でコメの取引所を見学、次いで兜町で株の取引所を実地に見る。翌3月4日付の時事新報(福沢諭吉が創刊した、戦前の5大紙のひとつ)は「外人、日本相場所を観る」と題してくわしく報道した。 福沢の知己で江戸城明け渡しの立役者、勝海舟は市場心理に明るかった。「物の価は理屈通りに行くものではない。勢いによるものだからネ」などと相場の神髄を突いた言葉を残しているが、福沢諭吉についてこう語る。 「諭吉カエ。10年ほど前に来たきりきません。大家になってしまいましたからネー。相場などをして、金をもうけるのが好きで、いつでもそういうことをする男サ」(海舟座談)