一流の調教師はどこを見て馬の調子を判断するのか
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(12月20日放送)に調教師の矢作芳人が出演。競馬における調教師の仕事について語った。 【写真】有馬記念で勝利したドウデュース 鞍上でガッツポーズの武豊
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。12月18日(月)~12月22日(金)のゲストは調教師の矢作芳人。3日目は、矢作厩舎を開業するまでの経緯について― 黒木)矢作さんのお父さんも調教師でいらしたのですよね? 矢作)括りとしては日本中央競馬会(JRA)ではなく、地方競馬になるのですが、大井競馬場で調教師をしていました。大井競馬場で有名なのはハイセイコーですね。 黒木)高校を卒業後、最初はお父さんに反対されたのですが、競馬の世界を目指すことになった。そのとき、JRAに行って欲しいということと、海外で修行して欲しいと言われたと聞きました。まず海外のオーストラリアに行かれたそうですが、そのときの話をお聞かせください。 矢作)約1年いたのですが、いまとはまったく事情が違い、携帯電話もない時代でしたし、国際電話も高い。ほとんど日本人がいないなかで、非常に孤独で寂しい思いをしました。あの厳しかった1年間があったので、いまがあるのではないでしょうか。自分の調教師としての基礎をつくってくれたのがオーストラリアだと思います。 黒木)アメリカやヨーロッパではなく、日本人が誰も行っていないオーストラリアで修行したのですね。 矢作)あえてそうしました。 黒木)日本の調教師とは違うのでしょうか? 矢作)大きく違いました。それをすべて日本に当てはめることはできませんが、視野を広げるという点で、自分の引き出しがすごく増えました。 黒木)日本に戻ってからはどうなさったのですか? 矢作)戻ってからは大井競馬場で父親の手伝いをしたあと、JRAに行きました。そこでは武豊君と一緒でした。 黒木)そうなのですね。そして矢作厩舎をつくられたのが2005年。最初は12頭だったのですよね? 矢作)栗東トレーニングセンターというところで開業しました。