東洋医学に注目“はり師・きゅう師”を目指す「全盲の双子」の夢と希望 その日々に密着 北海道
早産で仮死状態 家族一丸となり歩んできた日々
ふたりが生まれたのは2000年11月。 母親の孝子さんが、2人が生まれた当時の記録を見せてくれました。 (母・孝子さん)「肺がちゃんとできていない、自発呼吸ができないので、保育器の中で高濃度酸素という形になった」
妊娠27週の早産。 仮死状態で生まれた2人は産声すらあげられず。 蘇生が叶い、ようやく5か月後、2人は退院できましたがー (父・友一さん)「網膜症の症状が出てきたのを伝えられて、ショックでした」
そのとき告げられた病名は「未熟児網膜症」。 命と引き換えに、ふたりの目からは光が失われたのです。
食べることも、歩くこともー 家族一丸となってひとつずつ、ちょっとずつ…
音楽もそのひとつです。 小学生の時から“いけまぜ夏フェス”にも参加し、可能性を信じてできることを増やしてきました。 成長したいま“いけまぜ夏フェス”では得意の音楽だけではなくー あん摩でも兄弟で大活躍です!
(中村泰騎さん)「辛いと感じているところとかありますか?」 (あん摩を受けた人)「肩こりです」 (中村泰騎さん)「ありがとうございました」
(あん摩を受けた人)「気持ちよかったです。力加減もちょうどよくて」 (中村泰騎さん)「楽になった、気持ちよかったと言われるのが本当にうれしいので、やってよかったです」
「自分の力で生きる」兄弟の新たな挑戦
自らの障害を受け入れ、向き合ってきた双子の兄弟。 しかし、生活の中で感じる、目が見える人との「隔たり」。 (中村翔綺さん)「健常者は障害者をどのようにサポートしたらいいのかわからないので、電車とホームの間に落ちかけたりして、それは悔しかった」
(中村泰騎さん)「見えているからできて、見えていないからできないことは世の中すごく多い。何に対しても」 この秋、ふたりはある挑戦をしました。 地元・富良野で開かれた朗読会への参加です。