『笑うマトリョーシカ』政治家役・櫻井翔の恐るべきハマり具合い “いびつさ”がたまらない
ロシアの伝統的な民芸品、マトリョーシカ人形。コロンとしたフォルムの、一見愛らしい外見の奥に、次々と小さな人形が隠された入れ子構造の不思議な人形だ。開けるまで内側の人形の表情は見えず、その謎めいた構造は人間の多面性を象徴しているかのよう。一つの層を剥がすたびに新たな表情を見せる、この人形の名を冠したTBS金曜ドラマ『笑うマトリョーシカ』が、ついに幕を開けた。 【写真】櫻井翔の恐ろしさをはらんだ笑顔 主人公の新聞記者・道上香苗が、若き人気政治家・清家一郎とその有能な秘書・鈴木俊哉を取り巻く謎に迫る本作。表の顔と裏の顔、建前と本音……政治家たちの二面性と、彼らを取り巻く謎が、視聴者の興味を掻き立てる。 物語は2022年4月、新内閣発足の場面から始まる。厚生労働大臣として初入閣を果たした若手議員・清家一郎(櫻井翔)の姿が印象的だ。爽やかな笑顔とリベラルな言動で国民の支持を集める清家は、未来の総理候補として華々しく注目を浴びている。櫻井翔の演技が、清家の魅力的な外面と、その裏に隠された素顔を巧みに表現している。 一方、東都新聞文芸部の記者・道上香苗(水川あさみ)は、清家の自叙伝『悲願』の取材で愛媛県・松山の母校を訪れる。そこで彼女が知ったのは、現在の頼もしいイメージとはかけ離れた清家の過去と、自叙伝には登場しない鈴木俊哉(玉山鉄二)の存在だった。高校時代から清家を指導し、今も秘書として支える鈴木。この奇妙な関係に道上の追及の目が光る。道上の鋭い洞察力で、2人の異様な関係の中にある「いびつな何か」をひしひしと感じていた。 「それほど重要な人物を、清家はなぜ自叙伝に登場させなかったのか」と道上は、清家の自叙伝から鈴木の存在が削除された理由に違和感を抱く。 しかし、調査の矢先、悲劇が起こる。かつて社会部の敏腕記者だった父・兼髙(渡辺いっけい)が、道上との電話中に突然の交通事故で命を落としたのだ。父の遺品から見つかったのは貸金庫の鍵。兼髙は28年前の「BG株事件」という贈収賄事件を調べている最中だった。兼髙が追っていたこの事件と、当時自殺した「宇野耕介」の存在、そして、鈴木との不可解な繋がり……。これらの点が、物語の核心を形作っていく。 清家との対面取材で、道上は部屋に飾られたマトリョーシカに注目する。「あの人形、先生のお顔にそっくりですね」という彼女の言葉は、清家という外側の人形の中に、誰かの意思や存在が隠されているという可能性を巧みに示唆していた。その誰かというのが、鈴木なのだろう。 取材の最中、道上は鈴木が28年前に逮捕された宇野の息子だったという衝撃の事実を口にする。ポーカーフェイスで道上に答える鈴木だが、どこかその態度には「何かを隠している」ような引っ掛かりを感じさせる。「彼を総理にするためなら、私の全てを捧げようと誓った」という鈴木の言葉には、狂気と執念が混ざり合っていた。 後日、清家の誘いで2人きりでコンタクトをとることになった道上。この時、優しく話をする清家は、一見すると血の通った人間のようにも見えたのではないか。しかし、視聴者の頭をよぎるのは不安な思いだ。ちらりと挟まれる“寿司職人”のカットに、「この言葉さえも、鈴木が用意したシナリオの一部なのではないか」という疑念が湧き上がる。 会話の最後、清家は「これからも僕を見ていてくださいね」と言い残す。この一言と共に浮かべる櫻井の表情が、視聴者の背筋を凍らせたのではないか。親しげな口調とは裏腹に、その目には空虚さが宿り、それゆえに“何を考えているのかわからない”不気味な印象を与える。 春のヒット作『新空港占拠』(日本テレビ系)では、熱く、時にコミカルな武蔵三郎役を好演した櫻井翔。その演技の幅広さが、ここで遺憾なく発揮された。『笑うマトリョーシカ』第1話では、清家の表面的な温かさと内面の虚ろさを一瞬の絶妙なバランスで表現していたが、今後櫻井演じる清家がどんな表情を見せてくれるのかが楽しみだ。 その後、清家から送られてきた論文を解読する道上。そこで彼女が得たのは、「主体性がない」清家の姿のブレーンが鈴木であるという確信だった。 そんな中、清家が記者会見で語った親族里親の話に、道上は戸惑いを覚える。その内容が、以前自分が話したことと酷似していたからだ。この気味の悪い一致に、道上は清家の本質を垣間見る。清家は自分の意思を持たない代わりに、周囲の意見を真綿のように吸収する特異な能力の持ち主なのではないか、と。そして道上は、この状況を「これは清家からのSOSなのではないか」と解釈したのだった。 マトリョーシカ人形には、ある言い伝えがある。最も小さな人形に願い事をして蓋を閉じると、どんな願いも叶うというものだ。清家という外側の人形の中に潜む「誰か」は、鈴木だけなのだろうか。その内側にはどんな野望が隠されているのか。この謎めいた入れ子構造の正体が、物語の進行とともに明らかになっていくことだろう。 視聴者は、まるでマトリョーシカ人形を一つずつ開けていくように、登場人物たちの真の姿を追い求めることになる。それらが解き明かされていく様を、私たちは固唾を呑んで見守ることになりそうだ。
すなくじら