坂口安吾の「堕落論」東大生にこんなにも刺さる訳。戦後の作品だが、現代人にも通じるメッセージ
でもその一方で、人間は堕落します。戦争が終わって、特攻隊の勇士・英雄と呼ばれた人たちが、闇屋で生きるかもしれないが、それでもいいのではないか。「死んでしまった夫のために一生独身で生きていこう」と考えていた女性も新しい男性の影を追っているが、それでもそれは間違ったことではないのではないか。 人間の本質とはそういうもので、堕落を止めることはできず、止めることによって救われるわけではない。むしろ、堕落することを受け入れるほうがいいと、筆者は語っています。
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」 つまり、堕落するのは人間の本質であるのだから、堕ちる道を断ち切るべきではないのではないか、というのがこの作品の主張だと考えられます。 ■終戦直後の日本人に対するメッセージ この作品が書かれたのは終戦直後の、どん底の状態でした。戦争で家族を亡くした人や、特攻隊の生き残りとして「生き残ってしまった」と考える人も多かった時代です。
戦時中は、特攻して散ることが美徳とされ、戦争から逃れた人に対して後ろ指をさすような価値観がありました。女性も、特攻して亡くなった夫のことを思って一生未亡人として生きることをよしとする考えがあったといわれています。 これは「美しいものを美しいままで終わらせたい」という価値観と合致する部分があるのではないかと思います。意地汚く生き残るより、綺麗に散るべきだ、と。 しかしそんな中で、戦争が終わった今、われわれは意地汚くなっても、生きていいのではないか、と語るのがこの作品のメッセージだったわけです。
これは現代を生きるわれわれにも当てはまることなのではないかと思います。先ほど僕は浪人したときにこの本を読んだという話をしましたが、不合格になって失敗し、それでももう一度東大を目指している自分に対して、この本がエールを送ってくれているような感覚になったのを覚えています。 一発で合格するような人たちもいる中で、自分の受験は、美しくはない。不合格になったにもかかわらず、諦め悪く、もう一回勝負を挑んでいる。そんな自分は間違っているのではないか、潔く諦めたほうがよかったんじゃないかと思う一方で、「人間は堕落する」という坂口安吾の言葉は、不思議とスッと胸のよどみを溶かしてくれたように感じました。