否定するのは作らない側の人──料理研究家リュウジがうま味調味料にこだわる理由
料理人には向いていなかった
1986年、千葉県生まれ。両親が幼いころに離婚したので、父親の顔もおぼろげだ。初めて人のために料理したのは、高校生のとき。仕事帰りで疲れ切っていた母親のためだった。何を作ったのか尋ねると、すぐに答えが返ってきた。 「鶏ムネ肉のソテー。スーパーで安かったからムネ肉にしました。お金のない家だったから」 作り方は誰かがネットに上げていたブログを参考にした。できた料理を母親が「美味しい」と言ってくれたのが嬉しかった。リュウジさんが何かを思いついたように上を向いた。 「いま自分がネットでレシピを公開しているのは、そのときにレシピを上げていてくれたことへの恩返しかもしれない」 料理で母親を喜ばせることには成功したが、リュウジさんはオンラインゲームにはまって高校を中退してしまう。18歳で家を出て、アルバイトを繰り返す生活を送る。月収9万円の日々の中で工夫して自炊する力を身につけた。
料理人を目指してイタリア料理店で働いたこともある。だがすぐ辞めてしまった。 「来る日も来る日も同じ料理の繰り返しで嫌になったんですよ。お客さんは同じグランドメニューしか頼まない。だから仕込みも調理も毎日同じ。僕はもっと違う料理が作りたくなったんです」 料理をすることは好きだが、料理人には向いていない。ではどうすればいいのか。悶々として就いた仕事が、老人ホームの事務職だった。料理とは関係のない仕事だが、そこで決定的な体験を得る。
老人ホームで「開眼」
上司の日向(ひなた)雅史さん(51)は、事務所で初めて見たリュウジさんを今でも覚えている。目の前をぼうっと通り過ぎて行く姿だった。 「完全に目が死んでるの。生気がない。こんな若者がいて大丈夫なんかって」 ほうっておけなくて、飲み会で話しかけた。 「なんか興味あることないのか」「料理するのが好きです」 「料理かぁ、うーん」と日向さんは腕組みして、名案を思いついた。施設で入所者を対象に飲み会を開こう。そこのおつまみをリュウジさんが作ればいい。さっそく週末にイベントを設定した。