「絶対オレは信用しない」タモリが猛批判…!それでも元NHKアナ・鈴木健二さんが「気くばり」を貫き通した「衝撃の原体験」
2024年3月29日、元NHKアナウンサーの鈴木健二が95歳で亡くなった。彼が生涯に出した本は、国立国会図書館の蔵書検索で調べたかぎり、文庫化や再刊されたものなどまで含めるとじつに280冊におよぶ。そんな数多い鈴木の著書のなかでも、自己最大にして、日本の出版史にも残るベストセラーになったのが『気くばりのすすめ』(講談社、1982年)だった。 【一覧】「タモリが司会」好きな番組ランキング!1位に輝いた「意外な番組」 前編記事『伝説のNHKアナウンサー・鈴木健二さんが出した昭和のミリオンセラー『気くばりのすすめ』の内容は、令和に通用するか』につづき、「大ヒットの裏側」についてさらに深掘りします。
タモリが明かした「どうしても許せない人」
『気くばりのすすめ』に対しては、もちろん当時から批判もあった。そこで目立つのは、気くばりを技術として扱ったことへの批判である。 詩人の鮎川信夫は週刊誌の連載コラムで本書をとりあげ、《心やさしい著者は、現代社会のギスギスした人間関係を憂えて、本書をものしたのかもしれない。しかし、気くばりも、ここまで方法化してしまうと、真心は失われて、妙に噓っぽくなる。気くばりに出会うたびに、これからは一々挨拶しなければならなくなるみたいで、よけいな気苦労を背負いこまされた感じである》と評した(鮎川信夫『時代を読む』文藝春秋、1985年)。 これとほぼ同じことを、さらに舌鋒鋭く言いつのったのがタモリである。前編記事に書いたとおり、タモリは1983年の紅白歌合戦で鈴木と互いに司会者として共演していたが、批判はその翌年、『朝日ジャーナル』編集長だった筑紫哲也との対談(『筑紫哲也対論集 若者たちの神々 Part4』朝日新聞社、1985年に収録)で飛び出した。 このときタモリは筑紫から、あなたはこれまでさだまさしや五木寛之を批判の対象としてきたが、いまこの人はどうしても許せないという人はいるかと訊かれ、真っ先に鈴木の名を挙げると、次のように持論を展開したのである。
気くばりは「単なる処世術」なのか
《気くばりというのは、単なる処世術でしょう。技術に長けろと言っているわけでしょう。これは危険なことだと思いません? 夢窓国師かなんかが言った「本分をもって人に接せず」というようなことばがあるらしいんですけど、(中略)いつもフラットな気持ちで、無の状態で人と会えば、ほんとうにわかり合える。そうじゃなくて、技術を使えというふうに言っているわけでしょう。くだらん処世術を》 《あれを全部習得した人間が自分に近づいてきたら、絶対オレは信用しません。礼儀正しいやつには、絶対裏があるというのがオレの持論だから》 タモリは後年、「森田様のお宅でよろしかったでしょうか?」というような、いかにもマニュアルにのっとった感じの慇懃無礼な言い回しにたびたび苦言を呈しているが、この批判はそれに通じるものがあるかもしれない。 とはいえ、『気くばりのすすめ』をいま再評価すべき点は、気くばりとは技術だと言い切ったことにこそあると筆者は思う。 鮎川信夫やタモリは、気くばりは真心のない表層を装うだけの技術にすぎないと批判したが、鈴木が本書を書いたのはそもそも方向が逆で、いまの日本人が他人に対して思いやりの心はあるのに、技術がないために行動がともなわないことを憂えたからである。 そこで引き合いに出されたのが、松葉杖をついた人が電車に乗ってきたときや、目の不自由な人が道で方向に迷っているところに遭遇したら、どう対応すべきかということだった。 前者についていえば、もしロングシートの真ん中の人が席を譲ったとして、相手は坐るのに何の支えもないまま、松葉杖を片方の脇の下に束ねて後ろ向きにならなくてはいけないので、ありがた迷惑になりかねない。だが、シートの端には手すりがついているので、そのすぐ脇の席を空けてあげれば、相手は手すりにつかまって立つことも坐ることもできる。 鈴木はこのことを本文だけでなく、あとがきにも改めて書いたうえで次のように結んでいる。