最初の“東京五輪”は遠足だった? ~幻のオリンピック前史(前編)
●徒競走が中心、芸術プログラムも
肝心の競技内容だが、プログラムの半分以上が徒競走で、ほかに二人三脚や宝探し競争、高飛び、幅飛び、相撲などが行われた。駆けっこ中心ということもあって、とてもオリンピックの予行演習といえるレベルではなかった。入賞者の名前は記録されているものの、競技に参加した選手の総数が書き残されておらず、現在の基準からすると運営もお粗末だった。 他方、興味深いのは、前述の通り「芸術プログラム」が織り込まれていたことだろう。古代オリンピックが運動競技と文芸の二本立てで行われていたという歴史を忠実に模したものと思われる。さらにメダルや表彰台はなかったものの、入賞者には金銀銅牌および賞典が与えられた。 開会式や閉会式もなかったようだが、皇居に向かい楽隊の伴奏で君が代を斉唱した後、当時有名だった「吉岡将軍(※)」による万歳三唱で会を閉めているのが非常に日本的である。 (※早稲田大学応援団初代団長・吉岡信敬(1885年~1940年)のあだ名。押川が主催したスポーツ社交団体「天狗倶楽部」のメンバー。「虎鬚彌次将軍」の通称で知られ、当時は乃木希典、葦原金次郎と並んで「三大将軍」と呼ばれるほどの人気者だった。バンカラの代名詞として、一学生でありながら東京のみならず日本全国の学生に名を知られる存在だった)
----------------------------------- ■檀原照和(だんばら・てるかず) ノンフィクション作家。法政大学法学部政治学科卒業。近現代の裏面史などを追う。著作として単著に『ヴードゥー大全』(夏目書房)、『消えた横浜娼婦たち』。共著に『太平洋戦争―封印された闇の史実』(ミリオン出版)