英のEU離脱、米のトランプ現象……「内向き志向」は世界の潮流になる?
「戦争の回避」≠「友好」ではなかった
冷戦終結後の1990年代には、グローバル化のもとでヒト、モノ、カネの自由移動が加速。必要なところに人材や資本が集まることで、各国の経済成長も促されました。 ただし、国境を越えた、多くのレベルでの付き合いの増加は、各国間の友好を深めるとは限りませんでした。相互依存関係は戦争の回避に役立ったものの、日中、米中関係や、天然ガス輸入を軸とする西欧各国とロシアに象徴されるように、付き合いが増えるほど、顔を合わせずにいれば発生しなかったトラブルも増えざるを得ませんでした。 ところが、相手の利益と自国の利益が連動している以上、「自分たちの利益」を掲げるだけではトラブルを解決しにくくなります。そのため、各国の政府はお互いに慎重に対応せざるを得ず、いわば「一刀両断」の解決は困難になります。 これらの背景のもと、どの国も海外との関係で妥協を余儀なくされました。それにつれて各国では、「自国の独立」を疑問視する意見が大きくなり、それを支える既存の体制や政治家へのフラストレーションが溜まりやすくなったといえます。
「付き合い制限して利益守る」リーマン後に加速
このフラストレーションは、経済が総じて安定的に成長していた2000年代半ばまでは、なんとかコントロールされていました。 しかし、2000年代からの対テロ戦争と連動して、欧米諸国では徐々に「ヒトの自由移動」の結果である移民、特にムスリムに対する偏見と差別が噴出。折から、自由貿易をテコに中国をはじめとする新興国が台頭したことも、西側各国の警戒感につながりました。 これらの背景のもと、2008年のリーマンショックを皮切りに発生した世界金融危機は、各国を「海外との付き合いを制限して自分たちの利益を確保する」ことに向かわせる転機となりました。ヨーロッパでは、それまでにも増して移民への襲撃や嫌がらせが増え、他方でさまざまな規制を敷くEUへの反感も噴出。2014年のEU議会選挙では、「反EU」を掲げる政党が躍進し、フランスでは移民排斥を叫ぶ国民戦線が第一党に躍進。2015年からのシリア難民の急増も、この動きに拍車をかけました。 その一方で、1990年代以降の世界ではあらゆる規制が緩和された一方、人権意識の高揚とともに、暮らす国や性別を含めて、個人が自分のことを選択することが当たり前になりました。つまり、それ以前と比べて、外部の何者かに自分の問題を決められることを拒絶する考え方が普及したのです。この観念は当初「個人の自由」として普及しましたが、2000年代半ば以降はその重心を国家・国民にシフトさせ、「自国のことを自国で決定する」ことを強調する意見が目立つようになりました。 こうして、国境を越えたヒト、モノ、カネの移動による利益や恩恵が頭打ちになり、その弊害が目立つようになったのと入れ違いに、既存のシステムを維持するよりむしろ、そこから独立して、自分たちの利益を確保しようとする動きが鮮明になったといえます。