音響問題で炎上のAdoはなぜここまでたたかれる? 「顔出し」という最強カードを切るタイミングはいつになるのか
ライブ後のコメントに見る「甘えている若者」どころか冷静すぎる自己分析 顔出しという最強カードを切るタイミングはいつ?
通常のアーティストだったら、口先だけでも「自分の責任です」と謝ったのだろう。でもAdoさんは「歌い手」であり、大きなみこしに担がれた人形に過ぎないことを誰よりもよく自覚しているはずだ。だから謝罪をしないのは傲慢な「甘えた若者」だからではなく、むしろ客観的に自分の立ち位置を見ている賢さの表れではないだろうか。 もしも今回、謝罪のために顔出しをするという選択をすれば、アンチの声を少しトーンダウンすることはできただろう。けれども顔出しという最強のカードを切るタイミングは、今じゃないと判断したのだろう。もっと何か大きな「記録」に関わる時だ、と見計らっているに違いない。 今回の騒動に関して、Adoさんは「お客様の皆さまのお言葉、嬉しいこと、喜ばしいこと、勉強、糧にしなければいけないこと、しかと受け止めて、今後に活かしていただければと思います。」とSNSで投稿した。生身の姿をさらし、汗や涙にまみれながらパフォーマンスを見せるのとは違うやり方で、新しい「記録」を打ち立てるべく作戦を立てているところではないだろうか。いずれにせよ、ライブに行ってもいない人たちが、ネットニュースの意地悪なタイトルに踊らされてあれこれ言い合っているのは奇妙にも見えるが、「踊(おど)」というヒット曲を持つAdoさんならではの、ある意味すごい「記録」的状況なのだといえるのかもしれない。 冨士海ネコ(ライター) デイリー新潮編集部
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