【厩舎のカタチ】〝2つの名門初〟の新人トレーナー ~河嶋宏樹調教師~
週末のレースだけが競馬じゃない――。和田慎司記者が紡ぐ厩舎関係者たちの物語。その人が持つ哲学や背景を掘り下げ、ホースマンの実像を競馬ファンにお届けする。
【厩舎のカタチ/河嶋宏樹調教師】
「早くないですか!?」 今年、厩舎を開業した河嶋宏樹調教師(40)に、当連載の取材をお願いをした際の言葉である。初対面でも優しく声をかけていただき、朗らかで腰の低い先生。いや、「先生」と呼ぶとどこか恥ずかしそうな河嶋〝さん〟がどのように、厩舎をカタチづくっているのか。今、迫りたくなったのだ。 競馬と無縁の環境に育った少年が、初めて競馬に触れたのは「きれいな馬が回っていて〝変な名前〟の馬がいると思った」と言う1992年の有馬記念。変な名前とは「パーマ(メジロパーマー)」と「お米のシャワー(ライスシャワー)」。いかにも小学2年生らしい。テレビ観戦やゲームに興じるようになり、小学5年で夢は大工さんから競馬の世界に変わった。中学校の卒業アルバムに記した将来の夢は「調教師」。その後、部活動が終わった高校3年の夏、地元の乗馬クラブに通い始めた。寝わら上げのアルバイトを始め、稼いだお金をそのまま乗馬に費やした。 夢を追う青年のフットワークは軽い。夏休みを利用してフェリー、電車を乗り継いで到着した先は馬産地・浦河。そこから折り畳み自転車で北上し、牧場巡りを敢行した。その道中、けい養馬を見せてくれたJBBA(日本軽種馬協会)静内種馬場の職員に、厩務員を目指していることを伝えると「乗るならBTC(軽種馬育成調教センター)がいい」と背中を押された。おぼろげだった青年の進路は、明確なものになった。 高校卒業後、BTCに入講。1年間基礎から知識と騎乗技術を学んだ。「貴重な経験」と振り返るカリキュラムの一環で、2週間の牧場研修へ。研修先には、北海道新冠町のノースヒルズマネジメント(現ノースヒルズ)が選ばれた。「水色、赤十字襷、赤袖」の勝負服を背に、スティルインラブが牝馬2冠を制した2003年、夏のことである。 研修後半は同地に甚大な被害をもたらした台風の影響で復旧作業に奔走したが、ホースマンの卵が現役馬の背中を味わったことは、かけがえのない財産になった。初めてまたがり「全然違う」と感じた休養中のメーンエベンター(JRA3勝、地方5勝)は「数か月前に乗馬クラブの友人と阪神競馬場で見た」馬だった。「雰囲気が良く〝ここで働きたい〟と思いました。約3年半お世話になりましたが、素晴らしい牧場という思いは、最初からずっと変わりませんでした」 牧場に初めて足を踏み入れて約20年。研修生は〝ノースヒルズ出身初の調教師〟になった。技術調教師時代にはノースヒルズの前田幸治代表が所有するリメイク(新谷功一厩舎)の中東遠征に帯同しただけでなく、わずかな心残りも埋めさせてもらった。在籍時は育成部門を担当し、馬の誕生とは縁遠かったため、「出産に立ち合いたい」とお願いし、5日間、ノースヒルズに泊まり込みで滞在した。それでも時はなかなか訪れず、迎えた最終日の朝。放牧地に馬を連れて行く最中、破水の連絡を受けて馬房へ急行。目の前で生命の息吹に触れた。「厩舎に来る馬たちもその道をたどり、みんなの思いを受け止めている存在なのだと、再認識する機会になった」体験は、新たな縁も生むことになった。 「前田会長のご厚意で、その子をウチで預からさせていただくんです」 自ら取り上げたスティーリンキッシーズが生んだ男の子はレッドホットと名付けられ、来年厩舎にやって来る。父はノースヒルズの宝・キズナだ。 「会長の馬で大きなレースを勝たなければいけないと思いますし、この子もしっかり育てていけるよう、厩舎力を上げないとと思っています」