人気漫画『岸辺露伴は動かない』を分析したら、伝承文学のような緻密な物語構造だった!
「1話目と2話目」が共通要素によってひとつのグループを形成しています。次は「3話目と4話目」が二つ目のグループを形成しているのかと思えば、「2話目と3話目」が新たなグループをもうひとつ作っています。特徴的な配列だといえるでしょう。 「2話目」がグループの間で重複しているのですが、そのことによって「2話目」が異なるグループを接続する要素になっているのが分かります。さらに、次は「3話目」がまた別のグループとの接続要素になっている、という仕組みです。 最後に事例として挙げた「3話目+4話目+5話目」は分かりやすく、ここは差し出した物が同じ価値の別の物として返還される「等価交換」のモティーフが共通要素として使用されているグループです。 そして、実は「1話目」にも「等価交換」が使用されています。ただ、その「等価交換」を誰が命じているのかという点で、「3話目+4話目+5話目」のグループとは異なるのです。 「1話目」では等価交換を要求したのは傲慢な人間でした。それに対して「3話目+4話目+5話目」では、人を超越した存在がそれを命じています。 つまり、「等価交換」はよくある概念ではありますが、この『岸辺露伴は動かない』の中では、それを「命じる」ことが許されているのは、神的存在、幽霊、自然界、強大なパワーを持つ怪異体のみなのだということが示されているわけです。 人間はそのルールを受け取る側でしかなく、「運命」を前にするといかに人間が無力なのかが分かります。人間が「等価交換」を他者に押しつけた場合、その人物には罰が下されてしまいます。
先の記事の内容と関連しますが、岸辺露伴はジョジョたちと同じく、「持ち主の生命力」を具現化した「スタンド」という特殊能力を、強い精神でコントロールし、そうすることで「人間」がその「運命」を切り拓いていきます。 そして、これがこの作品最大の特徴なのです。露伴たちは人間の手にあまるような、厳しい「運命の必然」と戦います。 本来、神や自然災害や事故といった大いなる力に従うしかない無力なはずの人間が、自分自身の意志で立ち向かう――つまり、『岸辺露伴は動かない』という作品において、本来なら傍観者として「動かない」はずの露伴は、「運命」と戦う時に「動く」のです。 次にモティーフ同士を単純に比較してみましょう。対比関係にあるモティーフを並べていくと、以下のような法則が浮かび上がってきます。 このように配列ひとつとっても、作者・荒木飛呂彦の周到な心くばりが細部にまで感じられる並びになっているのがお分かりいただけると思います。このような複数の短編が収録されている本について、収録話の並び方を分析するための理論を「配列論」と呼びます。 これは、おもに民間伝承研究(昔話、伝説、説話、メルヒェンなどが対象)で使用される方法です。この岸辺露伴シリーズは学術的な意味においても「民間伝承」との共通点が多々感じられます。 メルヒェン集、伝説集では、収録されている各話の配列をそれほど意識的に行っていない場合でも、第1話目と最終話には、その本の主題を象徴するような話を置くことが多いです。民間伝承集によく見られるこの特徴が『岸辺露伴は動かない』にも見られます。ちょうど最初と最後の物語が「人間のパワー」に関連する内容になっていて、ここに「荒木飛呂彦らしさ」があらわれているといえるでしょう。
植 朗子