オードリー・タンが子どもを「役に立たない人」に育てたいと言うワケ…人を「モノ扱い」してはいけない
人に特定の「用途」を見いだす必要はない
オードリーは13歳になったとき、母親にこう言われた。「13歳はもう大人なのだから、これからは大人同士としてコミュニケーションをとりましょう」 大人と大人の間にはきちんとした境界がある。母親は、ある程度オードリーの後押しをしてやることはできるが、あとは本人の問題だ。友達にアドバイスはできても、それを聞き入れるかどうかは相手の問題なのと同じことだ。 お互いすでに大人なのだから、自分の決断には責任を持たなくてはならない。相手を大人として扱うことによって「ピグマリオン効果」が生じる。相手が13歳の子どもでも、成熟した行動を期待し、大人として扱えば早く大人になるのだ。 だからこそ子ども自身に興味の対象を見つけさせ、学びたいことを学ばせるのが最も重要だと考える。大人はそばにいて基礎的な学習環境を整えるだけでいい。 このような内から外へと広がる学びこそ、人間と機械との大きな相違点であり、機械では代替できないことだ。人を機械とみなしていなければ、ことさらに「役に立つ」ことを追い求める必要もない。 オードリーが「役に立たない人」を育てるべきだと提唱するのは、何もできない人を生み出せという意味ではない。人は機械ではないのだから、自分に特定の「用途」を見いだす必要はないという意味だ。
オードリー・タン(元 台湾デジタル担当政務委員)