本郷和人『光る君へ』三人の娘が太皇太后・皇太后・中宮の地位を占めた道長。ここでの<太>の文字が何を意味しているかと言えば…
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマが人気を博す中、平安時代の暮らしや社会について、あらためて関心が集まっています。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生がドラマをもとに深く解説するのが本連載。今回は「后の地位」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし! 『光る君へ』次回予告。「これで終わりでございます」剃髪する道長に「藤式部がいなくなったからですの?」と問う倫子。「もう会えぬのか」との道長の声を振り切るようにまひろは砂浜を駆け… * * * * * * * ◆<后の地位>について 今回のドラマでついに譲位を決意した三条天皇(三条院)。 譲位の条件として東宮になった敦明でしたが、三条院の死で先行きに不安を覚え、自ら東宮を降りてしまいました。 それから1年後の1018年には彰子は太皇太后に、妍子は皇太后に、さらに威子は中宮となり、三つの后の地位をいずれも道長の娘が占める、という状況が生じました。 今回はこの<后の地位>について考えてみたいと思います。
◆太皇太后とは 天皇の正式なお妃が皇后。天皇と皇后の間に生まれた新天皇が即位すると、皇后は皇太后になります。 ここまでは良くお分かりかと思います。 それで、また次の天皇が立って、それまでの皇后が皇太后になると、皇太后だった女性は太皇太后になる。これが原則です。敬称は「陛下」。 ドラマでも、彰子の子である後一条天皇が即位した結果、道長の娘たちの地位が変わったわけです。
◆「太」という文字は「大」に通じる ちなみに天皇が譲位すると、「上皇」と呼びますが、その正式名称は「太上天皇」です。 太上というのは、ざっくり言えば「もっとすごい」という意味になります。 「太」という文字は「大」に通じる。 太皇太后も同様で、皇后さまより偉い皇太后さま、それより偉い太皇太后さま…という感じかな。 太皇太后になる場合は、天皇が「この方を太皇太后とする」と宣下します。 ただ例外もあって、文武天皇生母の藤原宮子という方は、そもそも皇后になっていなかったのだけれど太皇太后になっています。 また嵯峨天皇の皇后、橘嘉智子は、嵯峨が弟の淳和天皇に譲位すると、天皇のお母さんではないのに皇太后となり(太上天皇の配偶者だから)、のちに太皇太后になっている。なかなか複雑なんです。
◆“皇太夫人”という地位も 藤原順子なども藤原宮子パターン。 仁明天皇の寵愛を受け、のちに文徳天皇となる道康親王を生みます。仁明天皇が即位すると、女御になりましたが、皇后にはなっていません。 仁明天皇は皇后を置かなかったのですね。それで文徳天皇が即位すると、皇太夫人(こんな地位もあるんだ!)となり、仁寿4年(854年)に皇太后。貞観6年(864年)に太皇太后となりました。 なお、現代の美智子さまは、皇太后ではなく、上皇后陛下になっていらっしゃるので、皇太后、太皇太后という地位は復活しないでしょうね。喜ばしいことに、昭和天皇からずっと、天皇陛下が長生きしていらっしゃるし。
本郷和人
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