毎日が国立。吉本大悟[京産大/SO]
生まれた時からラグビーがそばにある。 京産大の3年生、吉本大悟はそんな人生を送ってきた。 ラグビーのルーツは父・康伸さんにある。吉本が生まれてすぐにこの世を去った康伸さんとの共通点を持たせるようにと、母・佐江子さんが京都西ラグビースクールへと連れて行ってくれた。3歳の頃だった。 ラグビー人生に大きな変化があったのは、東海大仰星高に入学してからだ。「入った時は一番下手で。先輩たちにかなり厳しく言われることもありました」。 そこで、へこたれなかったから今がある。そんな経験をしたからこそ、「もっとラグビーが上手くなりたい」と思えた。 それから意識したのは、常に己と向き合うことだ。「人にばかり矢印を向けるのではなく、自分と向き合い続けて足りないものを探し続けることが大切」。そう気が付いてから一歩一歩、着実に成長できた。 高校ラストイヤーで、その努力が実を結ぶ。正SOとして花園に出場し、悲願の日本一を達成できた。 頂点に立ち、あらためて思うのは「チーム力」の重要性だ。一人で戦っているのではない、チームのために戦う。その気持ちを忘れず日々過ごしていた。 「その思いが形になると、点ではなく、どんなチームにも破られない一本の線になるんです」。チーム全員で一本の線を作れたから、長年のライバルたちにも打ち勝てたのだった。 全国優勝の司令塔が次の進学先に選んだのは、高校3年間で培ったハードワークを生かせる京産大。日本一練習が厳しいと言われる場所で、さらに自分の力を磨こうと思った。 「どんな学校に行ったとしても、結局は自分がやるか、やらないかで成長が決まる」 その思いで1年時から必死に自らを追い込む。新人でも臆することなく、常に出場機会をうかがった。 念願叶ったのは昨季だ。2年生ながら関西リーグの第5節から10番を背負い、そのまま大学選手権も先発した。 12月23日におこなわれた早大との準々決勝では、自らトライを奪うなどチームの大勝に貢献する。グラウンド上で、3年連続準決勝出場の喜びをかみしめた。 明大との準決勝は1月2日。吉本はこの日を忘れない。 キックオフから間もない前半2分だった。勢いよくタックルに向かうも、相手選手の肩が自らの頭とぶつかる。脳震盪となり、無念の負傷退場となった。 「ほんまにめちゃくちゃ悔しかった」 あの日から半年が経とうとする今もまだ、悔しさをにじませる。 「自分への怒りもあったし、支えられてグラウンドに立っていたので本当に申し訳ないことをしました」 周囲の支えあっての国立だった。レギュラーを掴むまでの道のりも、決して平たんではなかったという。 春にケガをしてから、夏を過ぎてもAチームに上がれず。気持ちの沈んだ吉本を、当時の4年生たちが気にかけてくれた。 「(三木)皓正さんや(松岡)大河さんは毎日会うたびに声をかけてくれました。何気ない声かけでも、当時の自分にとっては支えでした」 だからこそ、プレーで恩返しがしたかった。しかし、国立で初めて流した涙は悔し涙だった。 今でもトレーニングをするか、しないかで迷ったとき、あの日の悔しさがフラッシュバックする。 「自分は弱いのになんでやらへんねん」。いつもそう言い聞かせて、今日まで努力を続けてきた。 毎日が、あの日と変わらぬ本番なのだ。 「毎日のグラウンドでの練習が、国立の試合と同じだと思って取り組んでいます。毎日の練習で力を発揮できなければ国立でも発揮できないと思うので」 今季は先輩と臨める最後のシーズンでもある。入学してからともに多くの苦難を乗り越えてきた。 「これまで何度も助けられてきました。今度は4年生の誇りやプライドを僕たちが守ってあげる番です」 今度こそ先輩たちに恩返しを。そのために自分には何が必要か。先輩たちと日本一になるためには。 考えて導き出した答えは、「4年生の築き上げてきたアイデンティティに従いながら、10番として自分の意見も発言していく」。お互いに支え合いながら、一本の固く、太い線を作りたい。 吉本には壮大な夢がある。「自分のラグビーで世界に平和をもたらすこと」だ。 人種も国籍も関係なく、一体感をもってラグビーをしている姿が、世界のどこかの誰かに届くことを願って。また一歩、歩みを進めていく。 (文:藤田芽生(京産大アスレチック))