作家・清武英利氏「組織の中の人々の苦しみ、喜び、矜持を書き続けたい」
変化する社会に組織や報道は対応できているか?
──清武さんがおっしゃられる「後列の人」、世間的には無名な人だと思うのですが、そういう人たちと真正面からぶつかって作品を描かれているのですね。 清武氏 警察官として職務を果たすということだけではなくて、どうしてもサンズイ(汚職)をあげなければいけないんだと、そういった執念が失われていると思うんですよ。この本を書くきっかけになった、もう一つの理由は、警視庁の捜査二課が汚職をあげられなくなったことですよ。汚職の情報がないのかというと、そんなことはないです。汚職の情報はあるんですよ。それはね、僕らにもわかっているから。それを揉んで地検とやりあう時に、あるいは部内で管理官、捜査二課長にあげて、捜査二課の内部で話し合う時に潰れる事案が極めて多い。本当のワルが眠っている。それでいいのかをみんなで考えてもらいたい。 ──『石つぶて』の中にも事件が潰れそうになるシーンが出てきます。 清武氏 僕は二つの面、一つは社会が大きく変わって、それに組織が対応し切れているのかということ、もう一つは社会をウオッチしている、ここでいうと警視庁記者クラブだけれど、警視庁クラブの記者達がそれに対応しているのかと、その二つを問いかけたかったんですね。昔だったら年間5件とか6件とか10件とか汚職事件があった。それを追っかけるために刑事と捜査二課の担当記者がいる。汚職事件が年間ゼロ、あるいは1、2件しかないんだったら何やってんの、おかしいと思わないの? 汚職を摘発できない刑事が数十人もいて何やってんのって疑問に感じないのか。書かない記者はやっぱり、おかしいよね。 ──そういった意味では、新聞記者も気骨のある人がいなくなっているのかもしれません。 清武氏 警視庁捜査二課という問いかけだけではなくて、警視庁の刑事というもの、警視庁の記者あるいは新聞記者そのものがこれから先、まぁ、ネットがこれだけ強くなっている時代にどう生きるのか、ということもあるわけではないですか。じゃあ、キレイな社会になったのかといったら、そう思っている人は少ないですよ。もやもやとした、澱んだ瘴気のようなものを感じている人が多いと思うんですよ。熱病をもたらす悪い空気に満ちているような社会の底流、そういうところも僕はあると思うんです。そこをもっと変えてもらいたいですよね。だんだん二元化して、キレイな社会と底流の社会、だんだん格差が広がっていて、それを上手く掴めていない新聞記者。記者が時代を掴めない時代になっているのかもしれませんね。