斎宮で仏教はタブー、でも実際には浸透? 三重・明和町郷土文化を守る会が講演
出土の瓦片から研究 斎宮歴博の大川主査が話す
多気郡明和町の明和町郷土文化を守る会(潮田均会長、118人)は18日午後1時半から、馬之上の町中央公民館で開いた本年度の総会に合わせ、斎宮歴史博物館の調査研究課の大川勝宏主査(61)を招き、「奈良時代の斎宮と伊勢神宮寺~神仏の融合と分離にみる伊勢の古代史~」をテーマに講演会を開いた。
伊勢神宮の神宮寺 伊勢寺に移転と考察
多気郡明和町の明和町郷土文化を守る会(潮田均会長、118人)は18日午後1時半から、馬之上の町中央公民館で開いた本年度の総会に合わせ、斎宮歴史博物館の調査研究課の大川勝宏主査(61)を招き、「奈良時代の斎宮と伊勢神宮寺~神仏の融合と分離にみる伊勢の古代史~」をテーマに講演会を開いた。 同会は文化財保護などの目的で、1973(昭和48)年に発足。郷土史の研究や文化講演会などの活動を行っている。 総会に合わせた講演会では、同会顧問の下村由美子町長と西場信行県議をはじめ会員ら約50人が耳を傾けた。 講演で大川さんは「延喜斎宮式」の五忌詞(いみことば)条に「寺を瓦葺(ぶき)と称(い)い、僧を髪長と称い、尼を女髪長と称い」などとあることから「平安時代、斎宮や伊勢神宮では仏教がタブーで、寺を指す瓦を使った建物は他に存在しないと考えるのが一般的」と前置き。 ところが斎宮跡で発掘調査を進める過程で、数カ所から200点以上の瓦片が出土。数からして偶然の混入とは考えられず、さらに伊勢神宮の神宮寺とされる多気町の逢鹿瀬廃寺や四神田廃寺に使われた軒丸瓦と同じような紋様の瓦であることから「実際はタブーだった仏教が、斎宮でも浸透していたのかもしれない」と、職員として30年間勤務する中で疑問に思い、研究を始めた内容を中心に話をした。 また神宮の清浄を保つため、神宮寺がさらに遠ざけられた移転先の一つとして、飯高郡伊勢寺村(現松阪市伊勢寺町)の伊勢寺廃寺が有力ではと考察。「発掘調査では、同寺には堀で囲まれた東西100メートル前後の方形区画があり、奈良から平安末、鎌倉時代までの瓦や土器などに加え、(官営工房で作られた)『奈良三彩』の陶器が出土していることから、中央政権との強い関わりがあった寺院なのでは」と話した。 講演会後の総会では、昨年度の事業や会計報告の他、役員の再任、本年度の事業計画などが承認された。