「車いす社長」の妻由子さん 古い写真と亡き夫への想い
亡き夫への想いを綴った春山由子(ゆうこ)さん THE PAGE大阪
首から下が全身まひながら、「車いすの闘将」と呼ばれて介護機器サービスの改革に打ち込み、昨年2月、60歳で亡くなった春山満ハンディネットワークインターナショナル(HNI・大阪府箕面市)社長の妻で、同社専務取締役の春山由子(ゆうこ)さんが15日、満さんとの思い出をつづった『仲が良かったのは、難病のおかげ』(講談社)を出版した。「本当にオレでいいんか? 同情ならやめておこう」 ── 満さんの問いに対する由子さんの返事から、すべては始まった。由子さんはなんと答えたのか。 車いす社長・春山満は何を残したか? ピンチに動じない大局観と明日への希望
今夜もストロービールで「お疲れさま」
箕面市の高台にあるHNIサロン。自然に恵まれ、見晴らしがいい。春山家の住まいに隣接して建設された研修施設だ。体力が衰え外出が困難になった満さんの最晩年には、社員を招いて会議が開かれたほか、満さんのラジオ番組の収録が、死去の直前まで行われた。 サロンの一隅に、満さんの遺影が飾られ、朝はコーヒー、夜はビールがストロー付きで供えられている。毎日世話をしているのは、由子さんだ。満さんはまひが進行してからも、ストローを操ってモーニングコーヒーを味わい、夜はストロービールの晩酌を欠かさなかった。由子さんは「今も朝はコーヒーを淹れて『おはよう』、夜はビールで『お疲れさま』。生前と変わりません」と話す。 満さんの遺影に、一冊の本が新たに供えられた。由子さんの著作だ。満さんの著書は多数刊行されてきたが、由子さんにとっては初めての著作になる。満さんとともに過ごした37年間を振り返った自叙伝だ。
遅刻した由子さんにひと目ぼれ
満さんは20代半ばで起業したものの、全身の筋肉がまひし運動機能が失われていく進行性筋ジストロフィを発症。難病と向き合ううちに、医療や介護のサービスが立ち遅れている現実と直面。HNI社を設立し、介護医療機器の自社開発に心血を注いだ。 車いすを駆って全国を行脚し、介護サービスの抜本的改革をアピール。エネルギッシュな活動ぶりに内外のメディアが注目。2003年、米国経済誌「ビジネスウィーク」が「アジアの星25人」に選出。オリックスと提携し、春山さんが企画した老人ホームの運営が、全国各地で広まっていく。しかし、呼吸機能の低下が進行し、還暦を祝った直後、呼吸不全で死去した。この満さんの波乱万丈の半生を支えたのが、由子さんだ。 ふたりが出会ったのは、同級生だった高校時代。リーダー的存在だった満さんが、遅刻したものの、校庭をゆったりした足取りで悠々と横切ってくる由子さんをみそめて交際を申し込んだ。学園闘争の余韻が漂う時代、自分たちで卒業式を開催するなど、青春をおう歌した。 高校卒業から4年。満さんがヨーロッパ放浪旅行から帰ってきた直後、ふたりが再会し、本格的交際を深めていく。