「第2回大阪万博」が盛り上がらないのは前回のアポロ月着陸を超える科学技術上の快挙がないから~「人類の進歩と調和」は実現されたのか
カーター大統領の度重なる愚行
その流れが大きく変わったのは、1980年のモスクワオリンピックであろう。共産圏初のオリンピックであり、冷戦下における「世界の融和」が期待されていた。しかし、前年のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した民主党のカーター大統領のボイコット呼びかけによって米国、英国、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などが不参加となった。 ソ連のアフガニスタン侵攻の是非はともかく(後に米国も侵攻したのは隠しようがない事実である)、2021年3月9日公開「敢えて問う…そもそもスポーツの祭典はオリンピックでなければならないか?」冒頭「ギリシャ、クーベルタンの理念はどこに行った?」で述べたように、オリンピックとは「開催期間中だけは戦闘を休止し、スポーツという平和的手段で競う」ことが重要な目的であるはずだ。 しかし残念なことに、ギリシャ人達よりも現代人の方が野蛮なせいかどうかは分らないが、近代オリンピックにおいて「オリンピック休戦」は機能していないと言える。 公益社団法人 東京都人権啓発センター 2022年2月7日「『平和の祭典』としてのオリンピック」によれば、近代オリンピックが2度の世界大戦により夏季・冬季合わせて5回中止になっているのに対して、古代オリンピックは一度も中止されることなく、293回まで続いたとの記録がある。 世界が対立している中で開催されている「平和の祭典」をボイコットするなどというのは、明らかな「愚行」である。その「悲劇」については、日本経済新聞 2017年10月25日「あれから37年… モスクワ五輪ボイコットとその後」などで述べられている。 1979年の「イラン・アメリカ大使館人質事件」の救出作戦大失敗によって威信が低下したカーター政権の「起死回生を狙った愚策」とも考えられるが、このような「国際ルールを無視した蛮行」は「ジャイアン・アメリカ」のお家芸とも言える。 当然のことながら、1984年のロサンゼルス・オリンピックは、1983年のアメリカ軍のグレナダ侵攻に抗議するという形で(事実上報復といえよう)、ソ連及び東欧諸国が参加をボイコットした。 米国自らにブーメランが返ってきたのだ。