カマラ・ハリスを支え続けた厳しくも愛のある母の言葉とは? 知られざるカマラと家族の物語
ヒラリー・クリントン候補が大統領選でトランプ氏に敗れ、「ガラスの天井」を打ち破ることができなかったのは2016年のこと。当時メディアでは「まさかトランプ氏が大統領になるはずはない」という論調が多かったが、その「まさか」が起きたのがこの大統領選挙だった。それから8年。いよいよ2024年のアメリカ大統領選挙が11月5日に行われる。3回目の挑戦となるトランプ元大統領が返り咲くか、カマラ・ハリス氏がアメリカ史上初の女性の大統領となるか。今回の大統領選は最後までわからないと言われている。 【写真】妹のマヤさんとハグするカマラさん アメリカ初の副大統領になったアフリカ系、アジア系黒人の女性であり、大統領候補となったカマラは、いったいどのように今の彼女となっていったのだろうか。 評伝『カマラ・ハリス物語』には、幼少期から副大統領になるまでの彼女のこれまでが綴られている。カマラ・デヴィ・ハリスが1人のアジア系黒人として、さまざまな困難や差別を受けてきたことも描かれる。夢を実現するための方法を探し続け、本日を迎えることができたのは、家族や友人の大きな支え、特に厳しくも愛情深い母親と、カマラと共に挑戦も続ける妹の存在はカマラというかけがえのない存在があったからだということも伝わってくる。 では初めてアメリカ大統領候補となったアジア系黒人女性はどのように育ったのか。本書より抜粋する第1回は、カマラを支えた母シャマラと妹マヤとの関係をお届けする。 ※本記事は『カマラ・ハリス物語』(岡田好恵著 講談社)から一部抜粋し、再構成したものです。
母・シャマラがシングルマザーとなって語った言葉
1964年、カリフォルニア州オークランドで生まれたカマラ・ハリス。父はジャマイカ出身の経済学者、母はインド出身のがん研究者という家庭で育った。しかし、カマラが7歳のとき、両親は離婚し、母シャマラ・ゴパランはシングルマザーとなる。 シングルマザーとなった母は、2人の娘、カマラと妹のマヤにこう伝えた。 ・1番になりなさい ・他人から、「あの人だれ?」と言われるようではだめ ・誰からも名前を知られる人になりなさい ・(わたしの娘たちだもの、)学校でいい成績をとるのは当然 ・自分の信じることは、迷わず行動に移す ・一度決めたら、最後までやり通す 一見、スパルタ・エリート教育に思えるかもしれない。だが、母シャマラは、カマラ姉妹が「黒人の女の子」としてアメリカ社会でどんなふうに見られるか、よく理解していたのだ。だからこそ、彼女たちを自信に満ち、誇りを持った強い女性に育てたかったのだろう。 厳しくも深い愛情に満ちた母の教えが、大人になったカマラの人生の大きな支えとなっていった。