映画『オッペンハイマー』:世紀の傑作か、問題作か クリストファー・ノーランが描く「原爆開発」
「アメリカン・プロメテウス」
理論物理学者ロバート・オッペンハイマーは1942年、原爆の開発・製造を目的とする極秘プロジェクト「マンハッタン計画」に参加した。前年より第二次世界大戦に参戦していたアメリカは、敵対するナチスドイツが原爆を開発していることを懸念し、核兵器の開発を急いでいたのだ。 陸軍将校レズリー・グローヴスのもと、オッペンハイマーは全米の科学者をニューメキシコ州に招き、ロスアラモス国立研究所で原爆の研究と開発を開始する。1945年7月には人類史上初の核実験である「トリニティ実験」を成功させ、アメリカは翌8月に日本の広島・長崎へ原子爆弾2発を投下した。 オッペンハイマーは、のちに想像を絶する被爆地の惨状を知らされると深く苦悩する。アメリカとソ連が核軍拡競争を繰り広げた冷戦期には、水素爆弾の開発に反対し、それゆえに追いつめられていった。激しい反共思想がアメリカ国内に広がる中、家族や友人たち共産主義者との過去を暴かれ、スパイ容疑をかけられたのである。 映画の原案はカイ・バード&マーティン・J・シャーウィンのノンフィクション『オッペンハイマー』(早川書房刊)。ピュリッツァー賞に輝くこの大著は、原題を「アメリカン・プロメテウス」という。人類に核の力をもたらしたオッペンハイマーを、天界の火を人類に与えたギリシャ神話の神・プロメテウスにたとえたタイトルだ。最高神ゼウスの怒りを買ったプロメテウスは、その罪のため永遠の拷問に処された。
ロバート・オッペンハイマーの視点を体感する
物理学を愛し、研究に邁進する喜びにひたりながら、国家の大義に利用され、世界のありようを変える悲劇を生んだオッペンハイマー。その「倫理的ジレンマと矛盾に満ちた」生涯に、ノーランは以前から心ひかれていたという。 彼の半生を描くため、ノーランはひとつの趣向を取り入れた。物語は、オッペンハイマーの学生時代から原爆開発に取り組む経緯(~1945年)と、スパイ容疑を受けたオッペンハイマーの機密保持許可をめぐる聴聞会(1954年)、そしてアメリカ原子力委員会委員長ルイス・ストローズの公聴会(1959年)という3つの時系列が交錯するかたちで展開する。 ノーランは、この映画を「決してドキュメンタリーではなく、また再現ドラマでもない」と断言する。名作『アラビアのロレンス』(62)や『アマデウス』(84)にインスパイアされた本作で重要視されたのは、オッペンハイマーの抱えた倫理的ジレンマと矛盾を、観客が本人の視点で追体験できること。脚本は大部分がオッペンハイマーの一人称で書かれ、該当の場面はカラーで表現された。かたや、オッペンハイマーの“宿敵”ストローズの視点を描いた場面はモノクロとなっている。 3つの時系列、2つの視点。オッペンハイマーの半生に多角的に迫るプロットは、原爆開発の到達点であるトリニティ実験と、彼の進退をかけた聴聞会のクライマックスに向けて突き進む。その過程では同じ場面がしばしば異なる視点で繰り返され、よく似たモチーフも反復されるが、ノーランが巧みなのは、そのたびシーンや人物に新たな意味や文脈を付与していくこと。時には同じシチュエーションを反復することで、人間の変わらない部分を浮き彫りにしてみせる。 SF・アクション・サスペンス・戦争映画といった多様な作品群を手がけてきたノーランは、これまで培ってきたジャンル映画の手法を自身初の伝記映画に持ち込んだ。冒頭はダークな青春物語だが、中盤は原爆開発に賭けた人々のミッション・ムービーになり、後半には法廷サスペンスに変化する構造だ。トーンの変化が3時間もの長尺を飽きさせず、またルドウィグ・ゴランソンによる音楽とジェニファー・レイムの編集も、複雑かつスリリングな物語を怒涛のテンポで押し進める。