動物の世界では「権利」の考え方は絶対に生まれないと断言できる「驚きの理由」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】動物の世界では「権利」の考え方は絶対に生まれないと断言できるワケ 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
ミギー様のお言葉──権利なんて人間だけのもの
「おまえに生きる権利があるというなら 寄生生物にもその権利がある もっとも「権利」なんていう発想自体 人間特有のものだろうがね」 『寄生獣』という名作漫画で、寄生生物ミギーが人間の私立探偵・倉森を脅して言った言葉である。地球外からやって来て人間の頭に寄生し、他の人間を捕食する多数の寄生生物と人間との闘いを描く漫画であるが、その中で主人公・新一の右腕に寄生した寄生生物はミギーと名付けられ、高い知性を持ち自己保身のみを考え、新一と共生しながらもいろいろ思慮深い発言をする。 人間は「我々には生きる権利がある!」などと言って寄生生物に喰われることを拒否するが、それなら同じ生命である寄生生物に対しても同じ権利を認めないと辻褄が合わない。 人間には生きる権利があるが、地球外から来た生命体にはそれを否定するというなら、「権利」なんてワードには普遍性がなく、所詮人類が生き延びるための勝手な言い訳にしかすぎないということになる。 地球外生命体、それどころか地球上の人間以外のあらゆる生き物には、人間と同等の権利は認められることがない。まさに「権利なんて発想自体、人間特有のもの」なのであり、たとえば人を襲う熊や鮫にはまったく通用しないのである。 「他の生き物を守るのは 人間自身がさびしいからだ」とは、ミギーが眠りに就いて1年後に新一がつぶやいた言葉である。
「権利はマイノリティの切り札」
動物の権利というものは道徳的には主張できても、法的権利にはなり難い。そもそも動物は、現在の日本の法体系では「人と物」の区別のうちの「物」の中に含めて考えられているし(但し1990年代から、オーストリア、ドイツ、フランスの民法では「動物は単なる物ではない」という改正がされているが)、どの動物が、どのような内容の権利を、誰に対して持つのかがはっきりしない。 マンションの駐車場の天井に巣を作っているツバメ一家は、安心して居住し子育てする権利を、誰に対して求めているのか? 近所の地域ネコは自らの生存権を守る義務の履行を、誰に対して求めているのか? 奴らは何も具体的に語ってはくれない。だから動物の法的権利を成立させることは、現在のところは無理である。せいぜい人間が「こうして欲しいんだろう?」と想像して配慮してあげられるだけだ。 そういえば権利というものは、人間界では個人や少数派が国家権力や多数派の圧力に押しつぶされないために使う手段だ。 第10章でとりあげるロナルド・ドゥオーキンも、「権利はマイノリティの切り札だ」という。ということは、弱い者が淘汰されるのが当たり前の動物界では権利が生ずるわけがない。 仮に動物たちが人間のように言語を駆使していたとしても、多数派や強者に抗して弱い者を生きながらえさせるという思考になるかどうかは怪しい。 さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美