三笠宮妃百合子さまがご逝去…101歳
三笠宮妃百合子(みかさのみやひ・ゆりこ)さまが、15日午前6時32分、老衰のため、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。101歳だった。昭和天皇の末弟で2016年10月に逝去した三笠宮崇仁(たかひと)親王の妃で、明治以降の皇室で最高齢だった。 【写真】三笠宮妃百合子さま(2023年5月22日撮影)
今年3月3日、脳梗塞(こうそく)と誤嚥(ごえん)性肺炎で同病院に入院。療養を続けられていたが、今月7日の検査で心臓や腎臓など全身の機能低下が確認された。今週に入ってからは声かけにうなずいたり、目を開けたりする時間が少なくなり、15日早朝に血圧が低下して、息を引き取られたという。
百合子さまは、1923年6月4日生まれで、父は子爵の高木正得(まさなり)氏。母の邦子さんは子爵入江家の出身で、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏の姉にあたる。
41年10月に三笠宮さまと結婚、寛仁(ともひと)(2012年逝去)、桂宮宜仁(よしひと)(14年逝去)、高円宮憲仁(のりひと)(02年逝去)の3親王と、日本赤十字社元社長の近衛忠煇(ただてる)氏の夫人甯子(やすこ)さん、茶道裏千家家元の千宗室氏の夫人容子(まさこ)さんの3男2女をもうけられた。
48年には、恩賜財団母子愛育会総裁に就任。母子保健や乳児死亡予防運動の先頭に立たれた。日赤名誉副総裁や民族衣裳文化普及協会、いけばなインターナショナルの名誉総裁も務められた。
古代オリエント学者の三笠宮さまの現地調査などにも同行し、トルコやイラン、エジプトなどを訪問。89年には朝鮮・李王朝の皇太子だった李垠(イウン)氏(1970年死去)に旧皇族梨本宮家から嫁いだ方子(まさこ)さんの葬儀に参列するために韓国を訪れるなど、国際親善にも力を注がれた。
体調を巡っては、99年5月に不整脈と狭心症のため、ペースメーカーの埋め込み手術、2007年7月には大腸がんの摘出手術を受けられた。
3親王に先立たれ、16年には三笠宮さまが100歳で逝去したが、宮邸を車椅子で散策するなど穏やかな日々を送られた。