美人モデルボクサーが泣いた!高野人母美が引退危機を乗り越えて2年2か月ぶりの国内復帰を判定勝利で飾る
それでも試合中ずっと笑っていた。 「楽しかったんです。日本で試合ができることが。集中できていました。メキシコでメンタルが鍛えられたんでしょう。試合前に怖いとも思わなかったし、緊張もなかったです。でも体が動かない。そういう笑いでもありました」 2017年10月6日、JBCが新たに創設した日本女子王座の第1号となるバンタム級のベルトを同級2位の吉田実代(EBISU K’s BOX)と争うが、判定負けで王座獲得ならず、その試合を最後に引退届を出した。だが、それは、ボクシングを辞めたのではなく、先日、休会届けが出された協栄ジムでボクサーを続ける環境を変えたいというのが理由だった。 SNSや週刊誌で内情を暴露。アメリカに拠点を移して再起しようとしたが、当初は、現地ライセンスが下りずに頓挫した。 米国ビザとライセンスを取得、昨年4月にメキシコで再起戦のリングに立ちTKO勝利、それを含めメキシコなど海外で3試合を消化した。国内非公認のマイナー団体WBF世界インターのフェザー級王座決定戦にも出場して1-2で判定負け、直近では、今年4月にメキシコでミルカ・アグアヨ(21、メキシコ)と4回戦を戦い1-2の判定で負けている。その間、平行して国内では、格闘技イベントでのボクシングマッチに2試合出場するなどの迷走を続けていた。 何度も引退に心が揺れたという。 「もういいかな、これがタイミングかなって引退を考えたことが何度もありました。そこまでしがみついてやる意味はなんだろうと」 高野がプロ転向するきっかけを作ってくれた「山上ボクシングジム」の山上哲也会長が、この9月に亡くなったため、「ここがキリかな」と一度は、気持ちが切れかけた。 だが、元協栄のマネージャーでもあった岡庭慎・現緑ジムマネージャーの働きかけがあって日本復帰を決めたという。形式上、協栄ジムからの移籍という形だったが、協栄の金平桂一郎会長も協力的で、移籍金などが発生せずにスムーズに緑ジムへの復帰も決まり、松尾会長の尽力があり、「SNSなども含め今後、問題行動を起こさない」との誓約書をJBCに提出して10月にライセンスを再取得した。