肘に怪我も「上がって来い」 “客寄せ”の1軍で快投…高卒ドラ1に「ホンマに痛いんか」
牛島和彦氏は1年目に2勝をマーク…右肘に怪我をした状態で8月に昇格した
元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)は浪商(大阪)からドラフト1位で入団。プロ1年目の1980年は8月下旬に1軍昇格し、9登板で2勝1敗、防御率5.00の成績を残した。リリーフでデビューし、2試合目の登板で早くもプロ初勝利をマークするなど順調なスタートを切ったが、決して万全な状態だったわけではない。「8月に2軍で右肘を怪我したんですけど、それでもいいから上がって来いと言われたんです」。実際は見切り発車に近いものだった。 【動画】ミニスカ女優が“透け透け衣装”で始球式 スラり伸びる脚「ドラユニ似合う」 1980年、中利夫監督率いる中日は4月から最下位に沈み、結局浮上できずに終わった。なかでも一際散々だったのが、3勝14敗1分と大きく負け越した8月だ。そんな状況下で牛島氏は8月24日の巨人戦(ナゴヤ球場)でプロ初登板。1-6の9回に4番手で登板して1回を投げ、打者3人を無安打に封じたが、チームはそのまま敗れ、1分けを挟んで10連敗を喫した。牛島氏のコンディションも最悪だったという。 「2軍でバッティングピッチャーをやっていたら、ピッチャーライナーが右肘に当たって、裏側を内出血したんですよ。そんな時に上がって来いと言われたんです。僕は『無理ですよ。1イニングくらいしか放れません』と言ったんですが『それでもいいから上がって来い』って。『もうお客が入らないから』とか言われて……」。どうやら浪商時代に甲子園を沸かせた牛島氏の話題性を優先させた形での昇格だったようだ。 実際、デビュー戦は1イニング、2戦目は中5日で2イニング、3戦目は中3日で1イニングと無理使いされなかったが、周囲を驚かせたのは牛島氏がその間、1安打も許さなかったことだ。2試合目の登板だった8月30日の阪神戦(ナゴヤ球場)では1-5の8回から2番手で登板して2回を投げて打者6人を無安打。中日打線が8回に2点、9回には大島康徳内野手の同点2ランと藤波行雄外野手の中前適時打でサヨナラ勝ちを収め、牛島氏はプロ初勝利もつかんだ。 「あの時は阪神の先発が小林繁さん。負けていた8回から投げてノンプレッシャーだったんですよ。8回裏に2点とってくれましたが、それでもまだ2点差あったし、リラックスして投げたから0点で抑えられたんです。大した能力ではないですよ。9回裏に同点になった時は“延長戦はプレッシャーがかかる。サヨナラにして”って祈っていたらそうなったんですから。たぶん同点でマウンドに上がっていたら打たれたと思いますよ」