劣等感だらけの「不幸な人生」を変える1つのシンプルな考え方
不幸な人が大学に落ちただけ
不幸な人はつい「現実が厳しい」から不幸だと思ってしまう。不幸の本当の原因である自分の心を見ない。そのほうが心理的に楽だからである。いま「現実が厳しい」と「現実」に括弧をつけたのは、不幸を嘆いている人にとって現実は、本当は厳しくないからである。 大学に不合格になって不幸な人は、浪人したから不幸と思っている。しかし不幸な人が不合格になっただけである。不合格の人の不幸の原因は孤独であり、家族への帰属意識がないことであり、人間関係が悪いことである。帰属意識を持っていれば、劣等意識は重大なハンディキャップではない(註1)。 つまり、大学に落ちようが失恋しようが、○○家の人間だという帰属意識があれば、「あなたは、あなたなんだから」変わらず愛される。しかし、帰属意識を持っていないということは、「あなたは、あなただから愛される」という体験がないということである。 Because you are youとの対比を考える。最大の事実は自分。それをどう認識するかである。理想と比較して自分を解釈するから不幸になる。 自分は今までの人生でどういう人と付き合ってきたか? 悩んでいる人の反省の重大さである。それは認識された感情と、実際の感情の違いに気がつくことである。 (註1)Karen Horney, Neurosis and Human Growth, W.W.NORTON & COMPANY, 1950, p.21
現実に正面から立ち向かう
人から自分の人間としての価値を否定されて落ち込んだといっても、必ずしも今、聞いた言葉で落ち込んでいるとは限らない。 過去に自分の価値を否定されてひどく傷ついた、絶望した。そして、その人との関係が自分の中で解決していない。その未解決な課題が、もしかすると今、目の前にいる人にトランスフォームしているのかもしれない。だからこんなに落ち込んでいるのかもしれない。 今、目の前にいる人からひどいことを言われた。そのひどい言葉で、立ち上がれないほど傷つき、怒っている。しかしひどい言葉だと思っているが、もしかするとその言葉はそれほど怒り傷つくことではないかもしれない。自分の心の中の「記憶に凍結された不快感」とか、トランスフォームなどさまざまな心の働きで、そうなっているだけなのかもしれない。 とにかく幸せになるために大切なのは今、目の前の現実に正面から立ち向かうことである。苦労がないことが、必ずしも幸せなことではない。現実の苦しみがないことが幸せではない。 冬の寒い朝、道路工事で、道路に座って食事をしている人達がいた。夏の真昼、トラックで縄を投げあって荷物を縛っていた。苦しいけれど、触れ合っている。戦争と平和を考える。戦争が始まってうつ病が減る。幸せと個人の資源とは弱い関係しかない(註2)。 アメリカの社会学者デイヴィッド・リースマンの『何のための豊かさ(註3)』は、現実の苦しみの問題を重要視しすぎた。 人間には心の苦しみがある。何のための豊かさか、豊かになっているのに人間はそんなに幸せになっていない。いったい何のための豊かさかという本を書いたけれど、現実の豊かさは要するにお金があって、食べるものに困らないことをいう。 人が心が満たされるか満たされないか、幸せかどうかは、現実の豊かさとは関係がない。それなのに、現実の苦しみの問題を重要視しすぎた。 ドイツの哲学者で経済学者カール・マルクスも、現実の苦しみを重要視しすぎた。しかし、現実の苦しみがなくなっても、お母さんが子供の独占欲を満たさないまま成長した人は、60歳になっても70歳になっても不幸。吐き出せない憎しみで潰れた人はたくさんいる。 (註2)Michel Argyle, The Psychology of Happiness, Methuen & Co.LTD London & New York, 1987.p.124 (註3)David Riesman, Abundance for what?, Doubleday Book Club, 1964
加藤諦三(早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)