横浜FCの42歳MF中村俊輔が語るプロ25年目覚悟「自分にしか出せないものを」
俊輔が言及した「こういう時期」とは、ベテランや中堅がいつかは若手に取って代わられる、勝負の世界における世代交代の掟を指している。神奈川・桐光学園から横浜マリノスに加入した1997シーズン以降の俊輔自身も、日本代表を含めて先輩たちからポジションを奪ってきた。 しかし、新型コロナウイルス禍という特異な状況にあらためて思いを馳せ、今年6月には43歳になる自らの年齢も照らし合わせたときに、世代交代を必然だと受け入れられない自分に気がついた。 「フィジカル的な動きのスピード感、といった部分が衰えることはありますけど、そういったものに逆らってやらなきゃいけない。所属させてもらっているチームに必要とされるために、多少はプレースタイルを変えなきゃいけないと思ってきたけど、去年の時間をすごしてちょっと吹っ切れたというか。自分のプレー、自分にしかできないプレーをどんどん出していこう、と」 シーズン途中に加入したこともあり、横浜FCでの俊輔は自分の色を前面に押し出すプレーを自重してきた。視野の広さと正確無比なキックを生かした大きなサイドチェンジを原則的に封印し、中盤の底から短いパスを前後左右に、例えるならば各駅停車のようにつなぐ約束事がビルドアップ時に求められたなかで、俊輔はこんな言葉を残したことがある。 「急に移籍してきた選手が、チームを自分の色に染めることが許されるのは強烈なストライカーだけ。中盤の選手、しかもこんなおっさんだったら、自分がこのチームの色に染まることをまず考えないと」 昨シーズンも考え方を変えなかった。2019シーズンの途中から指揮を執る下平隆宏監督が掲げる、最終ラインから丁寧にパスをつないでいくスタイルを、トライ&エラーを繰り返しながら実践する若手たちに、スタンドから見つめながら気がついた点を伝えてチームに貢献した。 「ああしろ、こうしろと何か言うんじゃなくて、例えばワールドカップやチャンピオンズリーグのプレッシャーのなかでもあのプレーができていたのか、と考えてもらえるような話をしました」 J2への降格がないからプレッシャーもない、という図式のもとでプレーしていては、成功してもミスを犯しても進歩はない。ドイツ、南アフリカと2度のワールドカップに出場し、セルティック時代にはチャンピオンズリーグに爪痕を残したレジェンドは濃密な経験を惜しげもなく還元してきた。 日本国内では3つ目の所属チームとなる、横浜FCに注ぐ熱い思いはもちろん今シ-ズンも変わらない。それでも自分の思考回路における、チームの約束事を守る姿勢と自分の色を出す作業の割合を初めて逆転させ、後者を上回らせると心に決めて俊輔は和歌山キャンプに臨んでいる。