幸村が大坂の陣で築いた出城「真田丸」の顕彰碑除幕式
幸村が大坂の陣で築いた出城「真田丸」の顕彰碑除幕式 THEPAGE大阪
大坂の陣で真田信繁(幸村)が築いた出城で、NHK大河ドラマのタイトルにもなっている真田丸があったとされる大阪市天王寺区餌差町で「真田丸顕彰碑」が建立され、1日午前、関係者が出席して除幕式が行われた。
大阪明星学園のテニスコート東側に
顕彰碑が設置されたのは、大阪明星学園のテニスコート東側。最近の調査で同学園の敷地付近に真田丸があったと推定されている。 除幕式では水谷翔太天王寺区長があいさつし、「天王寺区内には幸村ゆかりの史跡が点在し、多くの歴史ファンが訪れているが、これまで真田丸があったことをビジュアル的に実感できなかった。顕彰碑ができたことで、これからは真田丸が天王寺に築かれ、大阪が歴史転換の舞台になったことを実感してほしい」と話した。 顕彰碑設置のスペースを提供した大阪明星学園の坪光正躬(つぼこう・まさちか)理事長は「かつて部室の建設に伴い、グランドの一部をボーリング調査したところ、大規模に盛り土されていたことが分かり、真田丸が築かれた場所であると確信した。大坂城をめぐる戦いの悲喜こもごもの物語に、現代人として関われることを誇りとしたい」とあいさつした。
徳川方の大軍勢を手玉に取った真田丸
顕彰碑は高さ175センチ、横幅270センチ。花崗岩に大型陶板を張り付け、足元に豊臣家と真田家の家紋を配した。題字は天王寺区出身の書家脇田龍峯さんが手掛け、大阪城天守閣が監修した。 真田丸は大坂城に籠城する豊臣方が徳川方の大軍を迎え撃った1614年の大坂冬の陣で、大坂方の真田幸村が築いた。徳川方を引き付けては撃退する作戦が功を奏し、徳川方が大苦戦。結果的に徳川方は和睦に持ち込むしかなく、最終決戦は翌年の夏の陣に持ち越された。 大大名ではないものの、大名の誇りを持ち、ゲリラ戦に長じた幸村。真田丸に思いをはせながら、幸村の知将ぶりを追体験する人たちが増えそうだ。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)