歴史は繰り返す。メーガン妃とウォリス・シンプソンの人生を徹底比較
メーガン・マークルはヘンリー王子と知り合う前、自分より5歳年上の映画プロデューサー、トレヴァー・エンゲルソンと結婚していた。 2004年、まだ俳優として駆け出しだったメーガンはトレヴァーと交際を開始。7年間交際して2011年にゴールインしたが、その2年後「和解しがたい不和」を理由に離婚した。 その時期、メーガンはドラマ「SUITS/スーツ」のメインキャストに抜擢され、撮影で単身カナダに移住。遠距離になったことや、お互いのキャリアのずれ(メーガンは売れっ子に、トレヴァーは停滞気味)が離婚原因だと考えられている。 王室伝記作家アンドリュー・モートンは『Meghan, A Hollywood Princess(原題)』の中でメーガンが一方的に離婚を決め「結婚指輪と婚約指輪を書留でトレヴァーに送り返した」と述べている。 写真/メーガン・マークルと最初の夫トレヴァー・エンゲルソン。2011年撮影。
“王冠を賭けた恋”
1931年に出会って以来、数年に渡って愛人関係が続いていたウォリスとデヴィッド王子。王子はウォリスにぞっこんで、高価な宝石を贈ったり、贅沢な旅行に連れて行ったりしていたという。 1936年1月20日にジョージ5世が亡くなると、デヴィッド王子はエドワード8世として即位。当然のように、エドワード8世はウォリスを自分の妻にと望んだが、それはイギリスに憲法上の危機を引き起こすことになった。ウォリスは離婚歴があり、2番目の夫とも未だ離婚手続き中。2人の結婚は政治的、道徳的、社会的にふさわしくないとして、母メアリ皇太后もイギリス政府も英国国教会も反対したのだ。 政府と報道界との期限付き“紳士協定”によって長く伏せられていた関係が公に明るみになった1936年12月、「王位か、ウォリスか」を迫られたエドワード8世は、王冠を脱ぐことを決意。12月10日に退位文書に署名を行い、弟のジョージ 6 世が王位を継承した。 エドワード8世はラジオ放送で「愛する女性の助けと支援なしでは、責任の重荷を背負い、国王としての責務を思うように遂行することは不可能だとわかりました」と語った。エドワード8世の治世はわずか11カ月。自発的に王位を放棄した最初の英君主となった。 1937年5月にはウォリスとアーネスト・シンプソンの離婚が成立。ウォリスとエドワード8世は同年6月3日にフランスのカンデ城で20人の参列者に見守られながらひっそりと結婚(王室メンバーは1人も参加しなかった)。ウォリスはウィンザー公爵夫人となり、エドワード8世はウィンザー公となった。 写真/どこか愁いを感じさせるウォリスとエドワード8世のウエディングポートレート。1937年6月3日撮影。