冨永愛「宇宙人」といじめられ、小さくてかわいい女の子がうらやましかった学生時代。「私の中に小さな光がともった気がした」姉のひと言とは
◆世界が変わったきっかけ 世界が変わったのは、モデルという仕事と出会ってから。 中3のとき、姉に「愛は背が高いんだから、モデルになりなよ。読者モデルのオーディション受けてみたら?」と言われた。 その瞬間、私の中に何か小さな光がともった気がした。 ファッションになんて全然興味がなくて、モデルの仕事のなんたるかもわからなかったけれど、自分を生かせる新しい可能性を感じてしまったのだ。 さっそく近所のコンビニで、姉といっしょにティーン向けのファッション誌をめくった。「これがいいんじゃない?」といろいろ見るのは楽しかった。 写真や履歴書の準備は姉がしてくれて、応募までしてくれた。 そしたらまさかの書類選考通過。 姉についてきてもらってオーディションを受けると、あっさり合格してしまった。 本当に驚いた。身長って、役に立つところでは役に立つんだ。 といっても、日本の少女モデルにはやはり目がぱっちりでかわいい子が求められる。ティーン向けの雑誌であれば、身長だって私ほど高い必要もない。 雑誌からは、徐々に声がかからなくなる。ここでもふたたびコンプレックスを抱えることになる。 日本にいても伸び悩むだけだと、17歳のとき世界の舞台へと飛び出した。 すると、海外で私はちっとも「巨大」ではなかった。日本という狭い世界の中にいたからこそのコンプレックスだった、と気がついた。 オセロの盤で、コマが黒から白にバーッと裏返るあの感じ。身長は私の武器なのだと知った。 でもそれで「めでたし、めでたし」じゃない。 今度は、アジア人として見下される。薄い体も、黄色い肌も、黒い髪も目も、全部がコンプレックスになっていく。
◆悔しさが私を強くした 結局のところ、どこにいたって私は人と自分を比べることをやめられないのだ。 それがコンプレックスをさらに膨らませると知っていても、比べることをやめられなかった。そしてまた落ち込む。私はずっとこのループにハマっていた。 でもいま振り返ると、私にはコンプレックスが必要だったんだとわかる。 私はものすごく負けず嫌いだから、自分の弱点が悔しくて、なんとか努力で埋めようとしてきた。 「アジア人はセクシーじゃない」と言われたら、どうすればセクシーに見えるのか、ポージングや表情を磨いた。 「アジア人には黒しか似合わない」と言われたら自分に似合う鮮やかな色の服を探して身につけた。 死に物狂いで自分にしかない長所を探し、それを磨いた。悔しくて悔しくて、その悔しさが私を強くした。 その過程で、私には私にしかない美点があると気づくことができたんだと思う。