冨永愛「宇宙人」といじめられ、小さくてかわいい女の子がうらやましかった学生時代。「私の中に小さな光がともった気がした」姉のひと言とは
国連持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が2024年に公表した「世界幸福度レポート」によると、日本の幸福度は143カ国中51位で、前年の47位から4位下降しました。このような状況のなか、世界的トップモデルで俳優としても活躍する冨永愛さんは「コンプレックスを山ほど抱えていても、幸せになることはできる」と語ります。今回は、冨永さんが自身の生き方を綴ったエッセイ『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』から一部引用・再編集してお届けします。 【写真】冨永愛さん「死に物狂いで自分にしかない長所を探し、それを磨いた。悔しくて悔しくて、その悔しさが私を強くした」 * * * * * * * ◆コンプレックスとともに歩き続けていく 「宇宙人」「ひょろひょろガイコツ」だった少女時代 ずっとずっと、コンプレックスの塊だった。 原因のひとつは、私の家庭が「普通の家」ではなかったことにあるかもしれない。 母はシングルマザーで、私は父親の顔を知らなかった。 子どもの頃は父の日になると、授業で父親の顔を描かせられるのも普通だった。私にとって父の日は、毎年「ああ、私にはお父さんがいないんだな」と思い知らされる日でもあった。 傷つく、というのでもない。ああ、またか、みたいな感覚。 あの頃はいまよりもっとずっと「普通」が重視されていたから、自分には何かが不足しているのだと感じていた。 もうひとつは、身長だ。私は現在179センチあるが、子どもの頃から常に大きい子だった。 特に中学生の頃がすごかった。3年間で身長が20センチも伸びた。朝起きるたびに背が伸びている。それが怖くてたまらなかった。 実際、同級生にはよくからかわれた。「宇宙人」とか「ひょろひょろガイコツ」と言われた。 思い出したくもないので詳しく書かないけれど、もっとひどいことも言われたし、いじめられもした。 だから、小さくてかわいい女の子がうらやましくてたまらなかった。私はその対極だったから。 周囲より頭ひとつ大きくて、顔立ちは個性的。自分が嫌いだった。 表面では気の強い要領のいい子を演じていたけれど、内面ではいつもビクビク、オドオド。 そんな自分を隠しながら生きるのだけは、上手になっていた。