全国から信仰を集めた小樽の「子宝地蔵」、存亡の危機…断崖中腹で堂守も不在
「子宝地蔵」として全国から信仰を集めてきた北海道小樽市のオタモイ地蔵尊が存亡の危機にある。オタモイ海岸の断崖中腹にある地蔵堂の堂守が亡くなり、1年以上管理者不在となっているからだ。地蔵堂に通じる遊歩道は崩落し容易には近づけない状態で、地元関係者らが22日に移転を含め対応を協議する。(片岡正人) 【写真】子宝地蔵として信仰を集めてきたオタモイ地蔵尊(高野さん提供)
全国各地から
オタモイ地蔵尊の由来は諸説あるが、江戸時代末期、周辺漁場の場所請負人を務めていた北前船主の西川家が海難犠牲者のためにまつった地蔵の一つとされる。
積丹半島沖で身重の若い女性が船から身を投げ、オタモイ海岸に流れ着いた遺体からは母乳が流れ出ていたという言い伝えもあったことから、明治中期以降は子宝を授けてくれる仏様として、全国各地から参拝者が訪れるようになった。地蔵堂には現在、子宝を授かった信者などから寄進された石仏が約3000体納められている。
周辺の地蔵尊を調査していた小樽商科大客員研究員の高野宏康さん(50)によると、昭和初期には年間1万人もの参拝者が訪れる「観光地」となり、後に「オタモイ遊園地」が開園する要因になったとみられる。戦後、遊園地が閉園してからも、手軽な散策コースとしてにぎわい、名物の「地蔵せんべい」が飛ぶように売れたという。
土砂崩れ被害
しかし、2006年に遊歩道が土砂崩れで原則通行禁止になると、訪れる人もめっきり減った。地蔵堂は明治以来、村上家が代々守ってきたが、昨年4月に一人で住み込んで管理を続けていた洋一さんが亡くなっているのが見つかった。
高野さんやオタモイ地区の住民、地元のまちづくり団体などが対応を協議。まずは、コロナ禍で中断していた例祭の再開にこぎつけた。昨年6月には4年ぶりの例祭を遊歩道入り口の駐車場で開くと、各地から約60人が集まった。
22日午後1時から同じ場所で例祭を開き、午後2時半からは、塩谷サービスセンターで高野さんが講演会を行って現状を報告。情報交換会を通じて、今後の対応も検討する。