アキレス腱に「石で殴られた衝撃」 有望なキャリアを襲った”残酷な瞬間”「もうダメだ、無理だ」【インタビュー】
負傷に泣くキャリアも「いい経験だったと、今なら思える」
日本で手術を行い、国立スポーツ科学センター(JISS)でリハビリに励んだ。そこではサッカーだけでなく、様々な種目の選手たちが、同じように先の長いリハビリ生活を過ごしていた。 「JISSでは多種多様なアスリートたちが同じようにリハビリしていて、一緒に取り組むようになった。そこにいる皆が、アキレス腱を切った、前十字靭帯を切った、など重傷を抱えた人たちだったので、リハビリ仲間の絆はとても深くなった。同じ状況で苦しんでいる俺らで、もう一度輝いてやろうと誓い合いながら取り組めたのは、精神的な支えになった」 そして2014年8月22日、リーグ第3節デ・フラーフスハップ戦で再びピッチの芝を踏んだ。実に250日ぶりの出場となった。一方、クラブが財政難に陥ったことで移籍を余儀なくされ、同年12月に古巣の柏レイソルに帰還。日本でも負傷離脱に苦しむ時期が続いたが、2018年に加入した横浜FMでは、自身初となるJ1優勝を経験した。 2021年にはジュビロ磐田に加入。キャリアタイ記録となる6ゴールを決めて、J2優勝、J1昇格に大きく貢献した。2022年に再び降格することになったが、大津氏は変わらず献身的にチームを支えた。しかし、2023年4月23日のJ2第11節ツエーゲン金沢戦で右大腿直筋腱断裂の重傷を負い、現役引退の決定打となった。 「フェンロでケガした時と違って、まず最初にチームのことを考えた。コンディションが100%でないままキャリアを続けるか、それとも、若手にチャンスの場を与えてもらう方が有益なのか。僕がプレーするよりも、若手に成長の機会を譲る方がチームのためだと自分の中で納得のいく決断に辿り着いた」 現役生活16年間、才能とは裏腹に負傷に泣かされるキャリアを過ごした。それでも「全て運命だと思っている」と受け止め、「苦しい時にどれだけ努力できるか、自分との向き合い方を学んだし、1人の人間としての成長に繋がった」と振り返る。「もしあの時のケガがなければ、今の自分はなかったかもしれないという意味では、いい経験だったと、今なら思える」と笑顔を見せた。 「サッカーをしていれば、多かれ少なかれ誰しも怪我をする。10~20年間プレーして、一度もケガをしないことなんてほぼありえない。だから、今ケガで悩んでいる選手たちも、これは誰もが通る道で、今そのタイミングが自分に訪れただけ、と受け入れて、その苦難を乗り越えれば、どんな形でも、それがサッカーという形でなくても、必ず成長して戻れるということだけは覚えておいてほしい」 現在、経営者として活躍する大津氏は、今この瞬間に負傷で苦しんでいる選手、負傷離脱を繰り返している選手に対し、同じ道のりを歩んだ経験者として激励を贈った。
城福達也 / Tatsuya Jofuku