なぜ谷崎潤一郎は妻を友人に「譲渡」したのか?理由を知ると心がザワつく…
ごく一部の人たちの性的嗜好だと思われている「寝取られ」だが、実は誰もが知るような歴史の偉人たちも、寝取り寝取られの経験者だった。例えば、谷崎潤一郎は、妻を関係者全員の合意の元、友人へ譲渡しているのだ。教科書には決して描かれない文豪の素顔に迫る。本稿はヨコタ村上孝之『道ならぬ恋の系譜学 近代作家の性愛とタブー』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 関係者全員の了解を取った後に 妻を友人に「譲渡」した谷崎潤一郎 「大谷崎」とも称された稀代の作家谷崎潤一郎は、私生活では自分の妻の妹と関係したり(それも同じ家に住みながら)、人妻に恋慕して奪ってしまったりとか、ずいぶん大胆かつ放恣な生き方をしてきた。 その中でもとくに悪名高いのは最初の妻千代を友人佐藤春夫に、関係者すべての合意のもとに譲り渡すという、いわゆる「細君譲渡事件」である。 女性をあたかもモノのように譲ったり、もらい受けたりするというのは、合意があろうとなかろうと、やはり人の眉を顰めるところで、批判は強い。 当時の世間もそのように思ったようで、たとえば、新潮誌上で企画された、この事件をテーマにした文学者やジャーナリストたちの座談会では、評論家新居格は「谷崎君の談話の中に、あゝいふ物件譲渡的の口吻があつたことが、事情はどうあれ、宜くない」と難じている(120頁)。 ジャーナリストの鈴木文史朗も同じ問題意識で、「結果に於て物品の譲渡といふことになつたといふことが、一般の道徳観念から見ると……」と言いかけて、久米正雄が「佐藤君の方は物品を譲受けたといふ気持ちはない」と擁護したのに対し、「それはないでせうが、世間がさう見る」と反論している(122頁)。
● 偉人たちの寝取り寝取られ事例を 多く発掘していた福沢諭吉 近現代はいざ知らず、歴史的に見れば、妻の譲渡(ないし奪取)ということは、古代・中世にあってはごくごく普通に見られることであった。 典型的なのは戦争の結果としての妻の奪取であって、敗れた側の君主の妻が、勝ちを収めた方の君主の妻となるわけで、古来、戦さに際してしばしば見られた事態である。 まさにこのようなことがエディプスの身に起こるのである。すなわち、エディプスは隣国のリーダーとして、父とは知らずに父王を討ち取り、母とは知らずに母である王妃を自らの妻とするのである(編集部注/生後すぐテーベの父王に捨てられたエディプスは隣国の王に育てられ、長じて実の父を殺害、テーバイの王となり実の母をめとった)。 エディプス・コンプレックスは近親相姦のタブーの代名詞のようになっているが、ここには母子相姦と、父殺しと、妻の奪取という3つのタブーが絡まっていることがわかる(もっとも妻の奪取という行為の方は古代や中世にあっては特にタブーの対象となっていなかったと考えられるが)。