老舗宿は「小さなちいさな美術館」。300年の歴史と文化が伝えるおもてなし
【この人に聞きました】清輝楼(せいきろう)13代目当主 徳田誠一郎さん
「日本人のお客さん、きょう初めてですわ」。夕闇の京都・祇園界隈でようやく止まったタクシーに乗り込むと、初老の運転手さんが申し訳なさそうに口を開いた。賑わいはありがたいが、古都の春は外国人観光客であふれ、地元の人も戸惑っているようだ。 インバウンドの喧騒を離れ、JR京都駅から北へ100キロ、日本海側の丹後地方へ。穏やかな海と山に囲まれ、日本三景の天橋立で知られる京都府宮津市には、古い寺社や町並みが残されていた。国の有形文化財に登録された和風旅館「清輝楼」の創業は元禄年間。13代主人、徳田誠一郎さん(51)が父から経営を継いだのは平成13年、29歳の時だった。彼はその頃から危機感を抱いていたという。300年の歴史があるとはいえ、人口減の逆風を乗り越えるのは容易ではない。自分たちの強みは何か。悩んだ末に、彼は動いた。
北前船の時代から、歴代の主人はこの地を愛した文人墨客をもてなしてきた。折上格(おりあげごう)天井の大広間を飾る襖絵は幕末、明治の絵師・鈴木百年、「蒼龍臥波」の書は輪王寺住職、無外和尚だ。200年前の巻物「与謝江海図」には天橋立から丹後半島北端の経ヶ岬(きょうがみさき)に至る光景が描かれている。野口雨情、吉川英治、河東碧梧桐などが残した色紙や書も館内に展示され、「小さなちいさな美術館」と名付けて宿泊客を案内するようになった。 もうひとつの挑戦は、欧米の個人旅行の受け入れだ。インバウンドという言葉がまだ知られていなかった頃、英語のSNSを発信し、尻込みする従業員を「普段通りに接客すればいい」と説得した。古き良き日本に触れ、静かな時を過ごしてもらう。ただそれだけだが、今では宿泊客の半分が外国人という。「京都はワンダフルだが、ビジー(せわしい)。ここはピースフル」という声を聞いて、彼は確信した。地元の文化を守り、継承するためなら、自ら変わることも恐れない。確固たる意志と覚悟。それこそが、長い歳月に鍛えられた老舗の強みなのかもしれない。 文・三沢明彦 ※「旅行読売」2024年6月号より