紺野美沙子さんがトヨタ・カムリから始まった愛車歴を初披露! 思い出の日本製フォルクスワーゲンとも再会へ(前編)
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第47回。前編では、俳優の紺野美沙子さんが、かつて乗っていたフォルクスワーゲンに再会した! 【写真】紺野さんとかつての愛車との艶やかな共演(22枚)極上のサンタナの細部にも迫る!
初めての愛車はトヨタのセダン
大学在学中の1年生から2年生になるタイミングで、紺野美沙子さんは教習所に通うようになった。 「当時は、免許を取得する費用が“年齢✕1万円”と言われていた時代で、20万円ぐらいを振り込んだような記憶があります。けれどもNHKの朝ドラ(NHK連続テレビ小説『虹を織る』)の仕事が決まって、通えなくなってしまったんですね。それがものすごくショックで、21歳ぐらいだったと思いますが、リベンジでもう一度通って、無事に免許を取ることができました」 晴れて運転免許を取得した紺野さんの初めての愛車は、トヨタの「カムリ」だった。 「1983年ぐらいだったと思いますが、両親がずっとトヨタのクルマに乗っていてディーラーに親しい方がいらしたので、その方からカムリを購入しました。紺野だから紺色にしたことを覚えています(笑)」 83年のトヨタ・カムリということは、82年にフルモデルチェンジを受けて登場した2代目だろう。初代モデルはセリカ・カムリという名称だったけれど2代目はセリカの名が外れ、同時に駆動方式もFR(後輪駆動)からFF(前輪駆動)にあらためられている。 トヨタは、カムリと兄弟車の「ビスタ」を“小型高級FFセダン”として売り出した。バブル前夜の日本が少し浮かれはじめたこの時代に、紺色の実直なスタイリングの国産セダンに乗るあたり、紺野さんの理知的な人柄があらわれているように感じる。 「運動神経があまり良くなくて、運転にあまり向いていないタイプだったと思います。最初の頃は路肩に乗り上げたり、世田谷の一方通行の狭い道に入り込んでしまったり……地元の方に『はい、真っ直ぐ下がって!』と、誘導していただくなど、汗をいっぱいかきました。 今、お話していたら、なんだか記憶が蘇って来ました……。いつまで経っても進まないと思ったら駐車場に並んでいる列だったり、やたらとパッシングをされると思ったらヘッドライトがずっと上向きだったり、とか。特に大変だったのは首都高速ですね。初めて首都高を走ったときには怖くて怖くて、渋滞で止まったときには心の底からホッとしました」 トヨタ・カムリで“運転の修業時代”を送ったという紺野さんは、それでもクルマに乗るようになって生活が変わったと振り返る。 「第二のマイルームができたように感じました。人に見られる仕事なので、撮影を終えて自分のクルマに戻ると、なにか素顔に戻れるというか、『今日も終わったなぁ』という実感が湧いてきました。クルマに乗るようになって、オンとオフを切り替える場所ができたんだと思います。大声でカラオケの練習をしたり、メイクをしたり、動く自分の部屋でしたね」 カムリに乗るようになって3年、車検の時期を迎えると、紺野さんは次の愛車を考えるようになったという。