なぜ宮川選手のパワハラ主張は認められなかったのか?曖昧だった第三者委員会の認定定義
2018年のスポーツ界はパワハラ問題が続出して大混乱となったが、女子レスリングの五輪4連覇、伊調馨選手に対して栄和人・前強化本部長が行ったパワハラについては、第三者委員会が、4つの事案をパワハラだと認定した。一方ではパワハラがなかったとされ、一方では、パワハラがあったとされた。では、今回の女子体操の事案と、女子レスリングとでは、何が、どう異なっていたのか。 二つの第三者委員会による報告書を読み込めば、いずれもパワーハラスメントをどのように定義するかが述べられている。だが、その定義には、微妙に異なる基準が採用されていることがわかる。 両報告書とも、2018年3月に厚生労働省が出した「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会報告書」を根幹とし、組織の特性に応じた基準を用いるとしている。 そこだけをみると、2団体のパワハラ判定は、同じ基準で行われたように映るかもしれない。だが、体操協会の報告書では、厚生労働省のものは「職場を前提しているものであるから」との理由で採用せず、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)の「トップアスリート等の相談受付窓口」で採用されているパワハラ定義が相当だと判断して判断基準に用いたという。 JSCのパワハラ定義は「同じ組織(競技団体,チーム等)で競技活動をする者に対して,職務上の地位や人間関係などの組織内の優位性を背景に,指導の適正な範囲を超えて,精神的・身体的苦痛を与え,又はその競技活動の環境を悪化させる行為」というもの。 だが、厚生労働省の定義を採用しないとしているのに、その一方で、厚生省の報告書の一部を取って「パワハラの定義は一定していないとされている」というような“逃げ”を打っている。そもそも、この第三者委員会のパワハラの定義が揺れていたのだ。個々の事案についての分析と、評価を読み終わると、さらに暗い気持ちにならざるを得なかった。 というのも、今回採用されている基準では、「身分を奪うとはっきりと言われる」、「あからさまな言葉で人格攻撃を受ける」、「精神科通院や心因性の傷病を抱えるなどの非常に分かりやすいダメージを被る」という事実が証明されない限り、威圧的な言動による被害を受けてもパワハラと認定されづらいからだ。 一般社会では、パワハラ被害者となったとき、証拠を固める自己防衛策として、すべての会話を録音するように弁護士などから薦められる。実際、上司からパワハラを受け続けた会社員が、ICレコーダーをポケットに忍ばせていたという話は珍しくない。身に危険が迫っているならば、録音に相手の承諾は必ずしもいらないとされている。もしパワハラを巡って争いになったときは、重要な直接証拠となる。 しかし、スポーツの世界におけるパワハラでは、被害者が未成年というケースが少なくなく、録音や録画などの証拠が残されているケースは滅多にない。今回の告発者である宮川選手も未成年だった。 そうなると「言った」「言わない」論に終始して、被害者側の感情とは裏腹にパワハラが認定されないという事態が起きる。こういう“判例”を作ってしまった今、子供たちは、どうやって身を守れば良いのだろうか。 そして体操協会の報告書には、もうひとつ気にかかる表現がある。宮川選手が追いつめられて、自らが記者会見を開くに至った問題について、「協会内さらには(塚原)千恵子氏との間のミスコミュニケーションに一因があったと考えられる」と記しているが、問題解決について、「指導者および選手との意見交換等のコミュニケーションの機会を作るべき」というおざなりの提言にとどまっている点だ。 確かにコミュニケーションの問題は確実にあるだろう。 だが、コンプライアンス体制の確立という項目の中で推奨されている改善策には、指導者が適切なコミュニケーション方法を学ぶ必要性についての言及がない。 報告書によれば、塚原千恵子氏から宮川選手への言動は「確かに配慮がなく不適切だが、悪意はない」、とされていた。そうなると、今後、「悪意が無い」という前提であれば、多少のエキセントリックな言動も許される、という考え方がまかり通ることになる。非常に中途半端な改善提言だ。 第三者委員会の報告書では、どうしてもパワハラ認定にばかり目が行きがちだ。実際、そこに焦点はあてられるのだが、さらに重要なのは、今後の改善につながる提言部分だろう。 宮川選手サイドは、再調査を協会側に求める考えを示しているが、今回の第三者委員会の報告書が、スポーツ界にとって悪しき前例にならないことを祈る。こういう問題が起きたときに、重要なのは、報告書をもって、物事を終わりにするのではなく、未来への始まりにするということ。塚原夫妻が復権した後の今後の体操界の動きに注目したい。 (文責・横森綾/フリーライター)