バスケットボール・小池真理子さん|Wリーグ入りへの“人生の分かれ道”は進学校での部活選択<前編>
心が折れ、わずか3年でWリーグの舞台を去ることに
すっかりバスケット中心の生活になった小池さんは、大学卒業後もバスケットを続けることを決断する。しかし、トヨタ自動車アンテロープス入団直後に脚の疲労骨折を負うなど、ケガにも悩まされ、現役アスリートとしてのキャリアにたった3年で一旦はピリオドを打つことになる。 ――大学でバスケットに打ち込んだことで、Wリーグに進む道が見えてきたんでしょうか? 小池 先輩がトヨタに進んだこともあって、私が入った年から夏合宿でトヨタの体育館に行くようになったんですけど、当時の丁海鎰(チョン・ヘイル)ヘッドコーチから「おまえは卒業したらトヨタだ」って言われて、「この人は何を言ってるんだろう」って思ったんですよ。でも、毎年夏合宿に行くと1人だけ個別で教わったりもして、4年生の春には決まりました。そこまで必要としてもらえることってなかなかないし、期待に応えたいという想いが強くなりましたね。教員になりたいというのは、もう頭から消えていました。 ――ただ、結局トヨタ自動車を3年で退団し、引退することになるわけですね。 小池 丁さんがすごく期待してくれているのが伝わってきましたし、練習を頑張っていれば試合に出してくれたので、それで頑張れました。ただ、Wリーグで通用する部分と通用しない部分がはっきりしていましたし、3年目の時にルーキーで入ってきた栗原三佳さんの存在も大きかったかもしれません。もちろん最終的に引退を決めたのは私自身なのですが、ポジションも身長も同じで、すぐにスタートに定着した彼女との力の差を感じました。ちょうど怪我をした時期とも重なって、そこからもう一度スタートのポジションを取りに行くんだ、と気持ちを切り替えることは難しかったですね。トヨタに入った時点で、3年のうちに芽が出るか出ないかでその後を決めようということは考えていたので、これはもう辞めるタイミングなんだと、むしろ潔く辞めることができたかなと思います。 後編へ続く ※後編は12月28日公開予定です 【小池真理子プロフィール】 1987年生まれ、愛媛県出身。 小学校4年生の時にミニバスケットボールを始めるが、中学校ではバレーボール部に入部。高校でバスケットボールを再開し、個人としては国体メンバーに選ばれるが、インターハイやウインターカップの出場経験はなかった。高身長ながらアウトサイドのシュートを得意とし、大学では1年次からスタートとして試合に出場、4年次にユニバーシアード日本代表に選出された。大学卒業後はWリーグのトヨタ自動車アンテロープスに入団、バスケットボール選手として3年活動したのち、2013年5月に現役を退く。5年のブランクを経て、3x3 (3人制バスケットボール) にて現役復帰。3x3選手と会社員を両立して5年活動し、2023年3月に2度目の引退をした。
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