アクセルとブレーキの踏みどころーー現代日本はその判断の正念場
あるアクセル経営者の述懐
「考えてみればアクセルばかり踏んでいたんだ」 一代で日本有数の小売企業を育て上げた辣腕の経営者が、バブル崩壊でつまずいたときに、ふと漏らした言葉である。 戦後復興と高度成長の時期には、アクセルだけでもよかった。大を成したのはほとんどがイケイケの経営者だった。いってみれば「田中角栄型」の「アクセル経営者」である。今の角栄人気は、そうした「日本元気時代」への郷愁なのかもしれない。 しかし今は、政治にも経営にもブレーキが必要である。「平時の運転におけるスピード調整のブレーキ(平時のブレーキ)」なら誰でも踏む。設備投資や雇用の調整だ。しかし突発的事態に直面して「急ブレーキ」を踏むのは自損の覚悟がいる。閉店、廃店、リストラ、ある分野からの撤退…。こうした決断は簡単にはできないものである。 産業には歴史的な波があるから、一時代に隆盛をきわめた分野も次の時代には凋落するということはよくある。そういう事態には「歴史的ブレーキ」が必要だ。 大きくハンドルを切って方向(業種)転換し、再びアクセルを踏んで成功した企業もある。織機から自動車に転じたトヨタ自動車がその代表であろう。化学工業から住宅に転じた積水化学、積水ハウス、旭化成などもある。富士フイルムは主力商品の写真フィルムが売れなくなっても大企業の座を保っている。 アクセルだけでもダメ、ブレーキだけでももちろんダメ、必要に応じてアクセルとブレーキを踏み替える経営者は大経営者である。今の日本には、GAFAのようなIT産業で世界を征するアクセル経営者が出ていない。
軍事のブレーキは難しい
軍事戦略においてブレーキを踏むのはもっと難しい。 歴史を顧みれば、常勝の指揮官ほど兵を引くことに失敗している。軍事的天才といわれたナポレオンも最後には大敗北を喫した。日本のシベリア出兵も撤兵が遅れ、得るところなく損害をこうむり、各国に大陸への野心を印象づけた。太平洋戦争ではそれが極端に出て、長期的戦略のないまま泥沼的に深入りし、結局は世界の大国を相手に多方面で戦ってしまった。日清戦争、日露戦争と勝ちつづけ、第一次世界大戦で漁夫の利を得た。それがかえって仇となった。 どうも明治以降のこの国は、アクセルとブレーキのどちらかに偏る傾向があるようだ。 それに比べて、戦国武将は駆け引きに巧みであった。武田信玄も上杉謙信も進むべきときと引くべきときを心得ていた。もちろん織田信長も豊臣秀吉も心得ていたが、信長は世界に眼を開き、鉄砲戦術を磨き上げ、楽市楽座で都市経済を発達させ、どちらかといえばアクセルが強かった。秀吉は逆に調略による和睦戦略つまりブレーキを得意としたが、最後に朝鮮に出兵したのは高齢であったためかもしれない。この二人を観察して最後までアクセルとブレーキを踏み間違えなかったのが徳川家康だろう。 しかしながら戦争の実態は、時代によって変化するものだ。前も述べたように近代の戦争は、武人と武人とが勇敢に戦うものではなく、心をもたない機械が一般市民を大量に殺す残虐なものである。こういった時代に戦争アクセルを踏むのは非人道的な行為とはいえない。もはや武人と武人との問題ではなく、文明と人間との問題になっているのだ。 安倍政権は、これまでの政権と比べ、かなりリアルに日本の防衛を考えている。東アジアの現実を考えれば当然かもしれない。安保法制によって専守防衛の枠が緩み、護衛艦は空母となり、大量の最新鋭戦闘機が導入されている。しかし国民はそういったことが戦争につながることを恐れているだろう。防衛力の増強は、戦争のアクセルとなるのではなくブレーキとなるのでなくてはならない。憲法改正があるとしても、これまでのような理想論としてではなく現実論として平和につながるという改正でなくてはならない。