アクセルとブレーキの踏みどころーー現代日本はその判断の正念場
アベノミクスというアクセル
安倍政権の顕著なアクセルの一つが、アベノミクスという経済政策である。 本来政権からの独立を旨とする日銀を抱き込んで、大規模な財政出動と超低金利(マイナス金利)による景気浮揚策を、つまりカンフル剤を打ちつづけてきた。たしかに景気という意味での成果は上がったようだが、今は足踏み状態だ。 膨らみ続ける財政赤字については賛否両論ある。経済の専門家でさえ、「国民の金融資産があるから大丈夫」、「どんどんお金を刷ればいい」、「そもそも財政赤字は財務省のデマ」などと、かなりいい加減な意見まで登場して百家争鳴である。他の先進国では、政権から一応独立した機関が金利政策のアクセルとブレーキを調整し、いわゆる出口戦略を探っているようだが、今の日本にはその出口が見えない。 もはやアクセルを踏んでもスピードが出ないように思える。素人ながら心配になるのは当然だろう。 ここで結論は控えたいが、ある人に聞いた犯罪者の心理を書いておく。 「初めの犯行は非常に抵抗がある。たまたま上手くいくと次もやる。いつかは捕まるだろうと心配になりながらも犯行を続ける。やがて、このまま捕まらないのではないか、これでいいのだと、自己の行為を合理化して大胆になる。そして捕まる」 多かれ少なかれ人間にはそんなところがあるものだが、企業や国家にもあるのだろう。日本の財政に当てはめれば、今は最終的な段階に近いような気がする。
文明のブレーキ
平時のブレーキと、急ブレーキと、歴史的なブレーキがあると書いたが、超歴史的なブレーキというのもあるようだ。「文明のブレーキ」である。 歴史にはときどき過剰な都市化時代が現れるものだが、19世紀以来の近代文明は、地球規模で加速し続けていて、とどまるところを知らない。特に化石燃料での発電を中心とするCO2(二酸化炭素)の大量排出による温室効果と異常気象の問題は解決が難しい。これまでの公害にはそれなりに技術的対応が可能であった。しかしCO2は、NOx(窒素酸化物)とかSOx(硫黄酸化物)とか、そういった類の活性の(有害な)気体ではなく、むしろもっとも安全とされた不活性の気体なのだ。これを制御することは近代産業の質を変え、近代文明そのものを制御し、文明に対する人間の考え方を変えることである。 今後は、今まさに発展の途上にある南の国々が問題の主役となる。大量の人口を抱えたこの国々が、日干し煉瓦(きわめてエコ)の建築からCO2の排出を伴う焼成煉瓦あるいは鉄筋コンクリートの建築に変わっていき、一年中冷房を使う、すなわち大量の電力を消費するようになるのだ。経済発展という彼らの積年の夢にブレーキをかけることは至難の業であろう。 最近はこれにSDGs(エス・ディー・ジーズ)という言葉が当てられる。「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」ということで、そういう言葉を使えば専門家らしく聞こえる。とはいえ僕はいわゆる環境論者ではない。建築界に身を置いた人間として、都市化に反対するよりむしろ推進してきた方だ。文明や産業を批判することによって社会的立場を得ようとする人々とは逆だった。 しかし今は、環境の専門家ではなく、ごく普通の政治と経済の意識をもつ人間が、文明のブレーキを考えるべき時が来ているように思える。「脱炭素社会」という構想が少しでも有効なものとなることを期待したい。 いずれにしろ現代日本は、かなり重大な正念場に立たされているような気がする。