「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの文化」をジョージア人と分かち合った日
<日本ではなぜ「最後」がこれほどに大切にされているのか。ジョージア人が「ユーロ2024」で大泣きした理由と「最後」の深い意味について>【ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)】
3月26日、サッカー・ジョージア代表は今年の欧州選手権(ユーロ2024)の予選プレーオフ決勝でギリシャ代表を下し、本大会初出場を決めるという歴史的快挙を成し遂げた。 【動画】ジョージアのサッカー応援歌「ガイギメ(笑顔見せて)」 ジョージアはもともとスポーツ大国であり、かつてソ連代表として多くのジョージア人が活躍していた。最近では、アメリカの総合格闘技の最高峰UFCでのジョージア人ファイターや、日本の大相撲での元大関・栃ノ心などジョージア人力士の活躍は皆の知るところだ。 しかし、スポーツの強さは国の安定と無関係ではない。特にチームスポーツはその傾向が顕著になる。それは国家がいかに選手を財政面でサポートできるかに依存するからだ。そのためソ連崩壊後にジョージアはチームスポーツで苦しんできた長い歴史がある。 そんななかで2003年にラグビー・ジョージア代表がワールドカップ(W杯)初出場を果たしたことは国民を鼓舞した。それから20年後の23年には、バスケットボールの男子代表がW杯の出場権を勝ち取り、沖縄で開催された2次ラウンドに進出した。 なかでもユーロ初出場はジョージア国民の悲願だった。というのも、他のヨーロッパ諸国と同様に、サッカーは国民的スポーツだからだ。だからこそ、サッカーで世界大会に出場できないことは「国民の悩み」でもあった。 私も「ジョージアはサッカーは強いのですか?」と聞かれるたびに、顔を赤らめて「強い選手もいます」とお茶を濁すのが精いっぱいだったほどである。 そんなジョージア代表とサッカーファンを支えてきた応援歌がある。ジョージア人歌手メラブ・セパシュヴィリによる「ガイギメ(笑顔見せて)」という曲で、ジョージア人であれば誰もが一度は耳にしたことがある。 その曲のサビに「物語(ゆめ)の最後には優しさがくる(ზღაპრის ბოლო კეთილია〔ズガプリス ボロ ケティリア〕)」というフレーズが出てくる。 日本語への直訳では詩的すぎるが、ジョージア語でも日常会話では使用しないこの表現は、「あなたのために歌っています。あなたと一緒です。決して怖がらないで。物語(ゆめ)の最後には優しさがくる。ほほ笑んで」という前後も合わせて聴かないと文脈が見えない。 では、なぜジョージア人がこの歌詞に感動するのか? そこから見えてくるのは「傷ついたプライド」だ。「スポーツの王様」であるサッカーに深い愛情を持ちながらも戦績を上げられない悔しさと鬱屈した気持ちを、今回の勝利が解放してくれたのだ。 ひげを生やしたジョージアの男たちが大泣きする姿をSNSで見たが、私の胸にも迫ってくるものがあった。 実はこの「物語(ゆめ)の最後には優しさがくる」というフレーズから、ある格言を連想していた。それはシェークスピアの戯曲『終わりよければ全てよし』だ。その過程はどうであれ、最後に結果が出たときに励ましの意味も込めて、日本ではよく使われる言葉だ。 この「最後」を大切にする精神は、卒業式や送別会など日本の日常生活では、至る所で見受けられる。その根底には、生の人間の感情や存在への配慮があるのではないかと思っている。 職場や学校では人間同士の衝突など、よい思い出ばかりが残るわけではない。しかし、終わりを美しい形で締めくくることによって、その過程で生じた雑念が取り除かれる。それが互いの次のステップへの後押しとなるのだ。 締めくくりを大切にする日本の文化には、このたびユーロ初出場を決めたジョージア・サッカー代表とそのファンも心から納得するのではないだろうか。日本で長年暮らしてきた私の、これまでの人生の節目とその締めくくりを思い出しながら、ずっとそのように考えていた。
ティムラズ・レジャバ(駐日ジョージア大使)