「私の先祖はおそらく入植した和人で、移民の末裔」北海道出身で在住の作家が“北海道を故郷と言えない”のはなぜなのか
北海道を舞台にした小説は多くあるが、久栖博季さんのはじめての著書となる『ウミガメを砕く』はまったく新しい読み味を残す作品だ。現代の北海道の内側から紡がれる物語には、アイヌや少数民族をルーツに持つ者たちのアイデンティティの揺らぎが浮かび上がる。久栖さんは北海道に生まれ、現在も道東に住んで執筆をしている。 【写真】この記事の写真を見る(2枚) 「ただ、北海道にずっと住んでいたらこういう小説を書くことはなかったんじゃないかな。大学のときに北海道を出たことが私の中で大きかったんです。北海道を外側から見ることで、『この土地はどういう場所なのだろう』という問いが生まれました。私の先祖はおそらく入植した和人で、移民の末裔であるという意識は以前から持っていました。私が出会った青森の人たちはとても自然に自分たちの土地を故郷と認識していて、そのことがすごく不思議に思えたんです。私は彼らと同じように、素直に北海道のことを故郷と言えないということに気づかされました。それがなぜなのかを考えたくて、小説を書いているんだと思います」 本書には2つの中編が収められる。今年の三島由紀夫賞の候補にもなった表題作「ウミガメを砕く」は、薄くアイヌの血をひく夕香(ゆかる)が主人公。地震により北海道が全停電したある日、夕香はアイヌであった祖父が遺したウミガメの剥製を、かつて運河だった公園に捨てに行くことを思い立つ。歴史を繙けば、この運河は和人が入植した際に掘られたものだった。 「大学の専攻が考古学や文化財論だったので、埋められている土地の歴史を掘り起こすという発想を持っています。時間が埋まっているという感覚です。その感覚の上にウミガメの剥製のことなど、興味関心のある事柄をいくつも小説内にちりばめました。三島賞の選考委員の方から『整理されていない』という内容の評をいただきましたが、その通りだと思います。私の頭も心もぐちゃぐちゃに散らかっていて、散らかさないと書くことができないんです。ただそうやって書いていく中で、思いもよらないところにたどり着けるのが嬉しいんですね」 近年、漫画『ゴールデンカムイ』を始めとし、アイヌの文化を丁寧に描いた作品は増えている。しかし、久栖さんはもう少し違った視点からアイヌを書けないかと考えているようだ。 「今年に入ってアイヌ語の勉強を始めました。アイヌの伝統的な文化も大変興味深いのですが、実際に今この社会に暮らすアイヌの人たちの多くはアイヌの文化を継承することができなかった、そういう歴史的な背景を持ちます。でもそのことを誰も書かない。ウポポイ(民族共生象徴空間)に展示されているものだけがアイヌだと刷り込まれたらこぼれ落ちる現実があります。現代を生きるアイヌの人たちのことをちゃんと書きたいと考えています」 本書に併録されるもう一編「彫刻の感想」は久栖さんのデビュー作であり、新潮新人賞受賞作。樺太に生まれた北方民族ウィルタのフイと、その子どものあきお、孫の杏子(きょうこ)に至るまでの三代の物語だ。 一冊を通して、動物がたくさん登場する点が特徴的。ウミガメ、ヒグマ、エゾシカ、オオワシなど、動物の視点に主人公が縦横無尽に憑依するシーンが目を引く。 「もともと私が動物寄りの人間なんですよね。人間社会との相性が悪いせいか、この社会生活の視点しかないと思うと息苦しさを感じてしまって。人間以外の動物の世界、その広がりを書くと安心できるんです」 くずひろき/1987年、北海道生まれ。小説家。弘前大学人文学部卒業。同大学院修士課程中退。北海道在住。2021年、「彫刻の感想」で第53回新潮新人賞受賞。23年発表の「ウミガメを砕く」で第37回三島由紀夫賞候補。本書『ウミガメを砕く』が初の単行本。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年11月7日号