「“東洋の時計王”の志を演じる、描く。」楡周平×西島秀俊『黄金の刻 小説 服部金太郎』
信頼は時を超えて続いていく
西島 服部金太郎さんは、現代でいうアントレプレナーのような存在ですよね。彼が生きていた140年前と現代はつながっているという前提でなければ僕たちは演技ができないし、わからないものにはそもそもアプローチもできないので、当然どこかに同じ「もの」や「こと」があるだろうと考えて探してゆくことになります。先ほど人生における出会いの話がありましたが、僕が服部金太郎さんの物語で一番興味を持ったのは、人が誰かを見込む、というのはいったいどういうことなんだろう、ということでした。 僕自身も不器用なタイプで、ずっと回り道ばかりしてきましたけれども、誰かから無償の手を差し伸べられたことが何度もあって、それで僕はこの歳(とし)までこの仕事ができている。それは本当に幸運だったとしか思えないんです。同時にとても不思議でもあって、手を差し伸べる人には何のメリットもなくて、どうかするとデメリットしかないにもかかわらず、「君、一緒にやろう」と声をかけてくださるんですね。そんな人たちとの出会いがいくつもありました。服部金太郎さんの場合は、それが渋沢栄一であったり年上の人や仲間であったり。そういう人とのつながりでキャリアを積み重ねていった姿を見ると、もちろん自分とは規模がまったく違いますけれども、非常にシンパシーをおぼえます。 楡 やはり、人との出会いも含めて無駄なものなどないんですよ。後になって何が役に立つかなんて、わからないんですから。たとえば無駄遣いという言葉があるけれども、その時はお金を使って無駄だと思ったかもしれないけれど、何か得ているものが必ずあるんですよ。無駄な時間を過ごしたと思っても、その経験が後にふっと何かの役に立つことがある。無駄を絶対に恐れちゃいけないし、むしろそういうデタラメをやらないと経験や知識の領域は広がっていかないですよ。だって、読書なんてそもそも無駄の塊ですからね(笑)。 西島 たしかにそのとおりですね。映画もそうかもしれません(笑)。僕は仕事がない頃に、毎日何本も映画を観ていた時期がありました。評判のいい映画だとか人気の話題作だとかに関係なく、とにかく毎日映画館に行ってよかろうが悪かろうが何でも観る、という生活でした。今思えば、それが僕のすごく豊かな財産になっていて、そのときは全然面白くないと思ったものでも後になって「ああ、これは面白いな」と発見することって、やっぱりあるんです。時間や経験、量を積むことでわかってくることがたくさんあるので、それは本当に楡さんのおっしゃるとおりだと思います。 楡 名作だけを観る必要なんてないんです。私も毎日貪るようにドラマを観ていますよ。 西島 雑食で片っ端からいろんなものを食べた方が、栄養にもなりますよね。僕は世代が上の人たちともそういう話をすることがあって、若い頃に観た映画の話で「あの映画は良かったですね」と語っても「あれは駄作だよ……」って言われるのが本当に嫌だったんです。たとえば二本立ての同時上映で当時は仕方なく観ていたような作品でも、やがて偏愛しだすんですよ。で、その映画がいかに素晴らしいかと伝えても、「駄作……」って言われる。でも、向こうも話を聞いているとそのうちに「ちょっと良かったような気がするな……」みたいになってくることもあって(笑)。他の人や権威がどんなにダメだと言うものであっても「俺が好きなんだ」というものを見つけていくことが、最終的に自分の何かになっていくんだと思います。 楡 いいか悪いかなんて所詮は人が判断しているだけのことで、好みの問題だから、それが自分に当てはまるかどうかなんてわからないですよね。皆がいいと思うものなんてないし、逆に皆がダメだというものもない。ある一定の基準をクリアしているから商業レベルで流通しているのであって、そうでなければ企画段階や出来上がった段階で「これでお金をいただくのはどうか」という話になっていたはずだと思います。それは商品にしても同じことですよね。 西島 そう考えると、服部金太郎はなぜあそこまで企業を大きくできたんでしょうか。時代性や先見の明ということがあったとしても……。 楡 そうですね、好きこそものの上手なれと言いますが、まさにそのとおりだと思います。その熱意と誠意が周囲の人々を巻き込んで動かしてゆくという点で、服部金太郎さんの人生もまさにその古諺(こげん)を体現していたのではないでしょうか。そう考えると、やはり天性の事業家なんです。セイコーを大きな企業にできたのは、事業家、実業家としての才があったからこそだと思います。彼を支えてくれるいろんな人たちがいたにせよ、金太郎の凄さは恐れないでやるところですよ。やるとなったら徹底してやるんですね。また、自分自身が企業のオーナーであったということも大きな理由ですね。自分の会社だから、自分の信念を曲げずに通すことができる。そしてもうひとつ重要なことは、「いいものを作れば売れる」という信念をおそらくずっとお持ちになっていた。 西島 お金を稼ぐためにやっているわけじゃない、お金は後からついてくる、ということですね。 楡 期待に応えれば、必ず。たとえば、関東大震災の際に修理で預かっていた時計が全部燃えたときに、「すべて新品でお返しします」と補償したことなんて、お客さんの大切な財産をお預かりしているのだという意識を持っているからこそですよ。そうでなければ、1500個あまりの修理品をすべて新品に交換するという凄いことは、ちょっとできることではないですよ。 西島 服部金太郎という人物を演じていて、彼の誠実さをつくづく感じました。生き方も仕事も誠実だったからこそ、あれだけ多くの人を惹きつけて会社を大きくしていったんでしょうね。 楡 そうですね。明治時代だったから、というようなことではないと思います。傑出した人物は、いつの時代にも必ず出てきますから。日本人こそ、もっと日本の技術や誠実な仕事に目を向けて評価すべきかもしれませんね。私が知る限り、海外の人から見れば日本はすべての点において、本当に別世界のような国だと思われていますから。 西島 文化も、ものすごく認められていますよね。日本の食文化や清潔さ、安全さが高く評価されていることは、海外に行くたびに実感します。 楡 食べ物はおいしいし、その食の安全も保たれているし、セイコーの時計がこれだけ世界で愛されていることだって、いい時計だと信頼されているからこそです。信頼の獲得がものづくりでは本当に大変なことで、それを達成できているのは素晴らしいことだと思うんですよ、本当に。時計が正確に時を刻むなんてことは、当たり前のようですが、その当たり前にお客さんは信頼を寄せるんです。セイコーの時計は、間違いなくその信頼に値するものだし、それは140年前に服部金太郎が創り、時間と共にセイコーという企業が育んできたもので、まさに今でも黄金のように変わらず価値を持つものなんでしょうね。 「小説すばる」2024年4月号より転載
テレビ朝日ドラマプレミアム 3月30日(土) 夜9時放送 「黄金の刻 ~服部金太郎物語~」
西島秀俊 山本耕史 濱田岳 水上恒司 吉川 愛 船越英一郎 (特別出演) 髙嶋政伸 高島礼子 松嶋菜々子 原作/楡周平 『黄金の刻 小説 服部金太郎』 (集英社) 脚本/髙橋泉 音楽/江﨑文武 演出 /豊島圭介 制作協力/KADOKAWA 制作/テレビ朝日