「“東洋の時計王”の志を演じる、描く。」楡周平×西島秀俊『黄金の刻 小説 服部金太郎』
時計で世界的企業へ
楡 セイコーが大きな世界的企業に成長していった理由についてもうひとつ特徴的なことを挙げるとすれば、元々はアートとしての時計ではなく、品質の良い物をいかに安く多くの人に提供し、日常的に使ってもらえるようにするか、という理念で創業していたことが大きかったと思います。たとえばスイスには、職人さんが作る何千万円もする高級時計がいくつもありますけれども、セイコーはそういうものは昔はほとんどやっていないんです。今でこそ最高級時計で国際的に評価を得るようにもなっていますが、それもまたセイコーが時代の変化や顧客のニーズに対し細やかに対応してきたからこそできているのでしょうね。服部時計店設立から140年経っても、創業者の志を受け継ぎながらセイコーは成長し続けているように感じます。 西島 それは何によってなせるのでしょうか。時代、時流というものを摑み取る力が人知を超えたもののようにも感じますよね。 楡 面白いもので、歴史にはそういう瞬間があるんです。新しいものが生まれてそれが基準に動き出した時、そこに巨大なマーケットができて、それを掴んだ人はとんでもない成功を収める。さっきのフィルムの例もそうですが、今の時代ならコンピュータやIT、そしてこれからはおそらくAIの業界がそうですよね。 先ほどの大谷翔平選手の例ではないですけれども、これからは海外に出なければビジネスが成り立たないと思います。特に言葉を扱う産業はかなり厳しいでしょうね。世界中で日本語を使ったビジネスは現状で1億2千万人の市場規模しかなくて、さらに今後は日本の人口が減っていく、つまり市場がシュリンクしていくわけです。では、どこに活路を求めるのかというと、もっと大きな市場を掴まなければ大きな成功は得られない。これはメディア全般にも言えることで、人口減少問題を突き詰めていくと、日本語で記された歴史や文化をどうやって次世代に継承していくかという問題にもつながっていくんです。 だからそういう意味では、時計はとても強いんです。事実、セイコーは既にグローバルブランドとして不動の地位を確立しています。じつは私は、時計もやがて危うくなるんじゃないかと思った時期があったんです。デジタル時計が出てきたときに、時計は皆そちらの方向へ行ってしまうのではないかなと思っていたのですが、これは私の読み誤りでしたね。時計というものには、宝石と同じような宝飾品という側面もあるんですよね。 西島 たしかにそうですね。きちっとした場所ではスマホで時間を見るのは少しためらわれるし、やはり時計で時間を確認したいという雰囲気はありますね。しかも、たとえば僕らの父親たちの時代だとクレジットカードもまだあまり普及していなかったので、ある程度の時計をしていれば、手元に現金がない時などに「ちょっとこれを置いていきます」と質草代わりに使っていたようですね。 楡 映画を観ていても、引き出しの中に高級時計をずらりと並べて、「さあ、今日の時計はどれにしよう」というような、資産を象徴する小道具としても使われていますよね。 西島 たとえば今はスマホでも時間がわかるということは、逆に言えば時計にはさらに別の価値も求められているということですね。 楡 そうだと思います。時計というものはただ安価であればいいというものではないんだ、としみじみ感じました。デジタル時計が普及し始めた時に「どうなるんだろう……」と思った私は、やはりちょっと読み間違えていましたね。 西島 面白いですね。時間は、ますます正確さや細かさが求められるようになっているから、これからも時計がなくなることはないでしょうしね。 楡 特に日本は電車がまったく遅れないし、人と会うときでも5分前に到着するようにと言われる社会だから、皆の時間とぴったり合っていなければ非常に暮らしにくいんですよね。