有村藍里「高校卒業後の肩書きは“フリーター”」早く何者かにならないと、と焦っていたあの頃
自分と向き合うこともせず、現実逃避していたあの頃
こんにちは、有村藍里です。 春は出会いと別れの季節。4月からは新生活をスタートさせる人も多いのではないでしょうか。でも、中には自分が思っていた道に進めなかったり、動き出せない人もいると思います。今回は前後編にわたって、昔の私の話をしようと思います。 有村藍里「美容整形してから、5年。私が今思うこと」 以前、コラムにも綴りましたが、私が小学生の時の卒業文集に「将来の夢はモデルになること」と書いてありました。 私自身はそのことをすっかり忘れていたのですが、私が立ち上げたアパレルブランドの最初のコレクションの展示会に来てくれた小学生の時の同級生が教えてくれて思い出しました。 小学生の時にモデルさんになることを夢見て、一度ティーン誌のモデルオーディションに応募して落ちたことは覚えています。まさかそれを卒業文集に書いていたとは……。 中学生の頃には、色々なことが重なって、学校に行くのが嫌で引きこもりがちになり、3年間行ったり行かなかったりしていました。 その頃の私は人生のどん底の気分でした。モデルになりたいと思っていた自分はいなくなっていて、将来の夢なんてありませんでした。中学3年生になってからは、高校受験も控えているというのに変わらず、勉強もせず絶望的。「私はこの先どうするんだろうか?」と考えることすら嫌で、自分と向き合うこともせず、「私は透明人間なんだ」と思うことにしていました。 だけれどどんなに現実逃避していても時間は進んでいって、流されるままに高校受験をして気づけば中学校の卒業式。相変わらず将来の夢なんてなかった。 学校の桜は満開で綺麗でしたが、虚しかった記憶。こんな思いはもうしたくない。「私じゃない自分になれる場所を探そう」って思いました。
自分じゃない誰かになれたらなんでもよかった
春休みにガラケーを使って、ネットで当時流行っていたメイドカフェなどのコンセプトカフェで働いてみたいな、となんとなく検索して見てました。自分じゃない誰かになれたらなんでもよかった。目に留まったのは芸能事務所が運営するモデルカフェ。色々な衣装を着て写真を撮ってもらえる、ポートレートモデルのお仕事でした。 その時の私は芸能事務所に所属したいというよりも、引っ込み思案な私でもポートレートモデルのお仕事ならあまり話さないでも出来るかもしれないから良いかも、と考えていました。 すぐにでも応募したかったけれど応募資格は16歳から。高校生になって夏が来て16歳になるのを待ちました。 この頃も、卒業文集に書いたことも忘れていたし、将来の夢もありませんでした。 16歳になり、なんとか芸能事務所に所属することができた私は、晴れてポートレートモデルデビューしました。 正直言って、モデルは自分にはまったく向いていないと思っていたし、同じ事務所のモデルさんたちやカメラマンさんとコミュニケーションを取るのすら私にとっては困難でした。 簡単だろうと安易に思っていたポートレートモデルのお仕事が実はとても難しく、表現力やポージング力が必要だったり、なかなか上手くできなくて、すぐに辞めたいと思っていました。