小出恵介「やっと息ができた」自粛を経て気づいた居場所
ドラマ『ROOKIES』『JIN-仁-』、映画『パッチギ』『愚行録』など数々の作品で人気を博した俳優・小出恵介。俳優人生は順風満帆に思えたが、2017年6月、飲酒が招いた不祥事で芸能活動を休止することになった。猛省と痛恨の日々。気づけば4年が過ぎた。そしていま、ようやく再始動の時が。一時は引退も考えたという小出が、先の見えない暗いトンネルの中で、何を感じ、どうやって光を見いだしたのか。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
これまでの自分をかき集めるように渡米
――小出さんは4年ぶりにドラマ復帰となりました。それまではどんな生活をされていたのか教えてもらえますか。 小出恵介さん:不祥事を起こし芸能活動を休止することになり、2018年6月に前事務所との契約も終了しました。いろんな方にご迷惑をおかけし、謝罪して回って反省の毎日です。諸々の事情があって自分から説明できないということもありましたし、周囲の目も当然厳しい。だから、ちょっとおかしくなるくらい自分を追い詰めていましたし、同時に、いったいなぜこうなってしまったのかと自問自答して…。しかし仕事はできない、時間だけはたっぷりあるから自分自身を見つめ直すのですが…。その頃の自分を一言で言い表すとしたら、“絶望”です。 ――ビザを取得して2018年秋にアメリカ・ニューヨークへ移住されたんですよね。 小出恵介さん:悩んで苦しんでいろいろ考えて、このままじゃいけない、そしてやっぱり役者を続けたいという思いにいたりまして、模索した挙げ句そうすることに。このままでは腐ったまま沈んでしまう。活路はそこしかないように思えました。これまでの自分をかき集めるようにして、渡米に賭けたんです。 自分で安いアパートを探して、まずは語学学校で英会話を学びました。当然ですが、つつましい留学生の暮らし。朝7時半に朝ごはんを作って、ニューヨークの地下鉄に乗って9時開始の授業に。休み時間は近くの公園でパンをかじって、語学学校が終わると午後3時くらいから演技レッスンやダンスレッスン、ボーカルトレーニングというルーティン。演劇を見て刺激を受けたり、演技を吸収しようとしたり。社会人になってずっと芸能界にいた自分にとっては、そういう日常生活は初めてだったので新鮮でした。 ――日本にいたときと比べると心境に変化はありましたか。 小出恵介さん:経済的な事情もありますが、日本で着ていた洋服はほとんど売って処分しました。日本で役者をやって、作品のなかで輝いていたときの自分の身なりと、地下鉄に乗ってパンをかじっていたときに合う身なりはやっぱり違う。そういうものを全部見つめ直して、いまの自分に合ったものじゃなきゃいけないなって考えました。自分を取り巻くもの、食べ物や洋服もそうですし、考え方や物の見方、言葉使いもすべて変わったように思います。 ――小出さんは日本では有名ですが、ニューヨークだと誰も知らない状況ですよね。 小出恵介さん:そうですね。語学学校なんかで日本の方がいる場合もありますが、ほとんど交わらないですし、アメリカで仕事をしたいというもうひとつの目標があるので、ニューヨークではなるべくネイティブに近づくような生活をしていました。ただ、アジアの方は僕の出演作品を見てくれている人が多くて、街なかでけっこう声をかけられることがあるんです。「ケイスケ・コイデ、What are you doing?(何してるの?)」。日本での騒動を知らないわけです。あ、日本のスターをニューヨークで見かけた、と喜んで声をかけてくれているのに、僕はそのテンションで素直に返せない。心理的に堂々と振る舞えないというか、なんていうか、それはつらかったですね。